■提言 MAKUHARI 21■マクハリ、未来型集積へ
変わりゆく首都圏構造――
多核拠点の時代の幕張新都心(1)
黒川和美■法政大学経済学部教授
この20年で、首都圏の構造は大きく変わった。
かつて業務核都市といわれた東京周辺の都市群の
役割はいかなる変容を遂げてきたのか。
■一極集中型の都市構造の崩れ
 首都圏は高度成長以降、一極集中構造の下に東京周辺へとその圏域を拡大してきた。東京をはじめ、パリ、ベルリン、ロンドンといった一極集中型の都心では、基幹となる交通網は、中央から放射状に四方八方へ伸びて、郊外のベッドタウンと都心とを結ぶ鉄道や自動車道路などが、主たる幹線としての役割を果たし、都心と周辺との間で人や情報を往還させてきた。
ところが近年、周辺のベッドタウンや業務核都市が、一定の成熟をみてきたことによって、従来の一極集中型の構造が急速に崩れつつある。
首都圏は1980年代以降、「業務核都市」というキーワードで、分散化を展開してきた。東京の都心機能をあちこちに分けて、例えば、立川・八王子は学園都市、浦和・大宮は都市型周辺サービス産業の拠点といったかたちで、機能分散が進められてきた。幕張新都心、横浜みなとみらい21、臨海副都心は、ベイエリア・ネットワークの中での新たな業務核都市形成が目指されてきた。
こうした東京のような大都市圏の計画においては、放射状型の交通が基幹動線として考えられていて、それらを横に繋ぐ交通網というのが、従来はあまり考えられて来なかった。しかし近年、パリでもロンドンでも、一極集中の緩和や、周辺動線の再編による地域活性化という視点から、横の交通を意図的に導入していこうという動きが盛んになっている。
このような新しい横の交通網は、「セカンド・ベルト」と呼ばれる。パリやロンドンでは、こうした「セカンド・ベルト」の構想が、パリ再開発の公共計画に組み込まれ、議論が重ねられてきた経緯がある。
じつはこのような現象は、東京首都圏においても顕著に起こりつつある。
例えば、最近でいえば南武線の混雑が顕著である。南武線は立川から川崎までを繋いで、その間に、京王線、小田急線、新玉川線、東横線などの放射状の交通網と交差する。つまり、完全にセカンド・ベルトとしての役割を果たしてきた路線である。
公共的な計画や議論は、あまりなされているとはいえないものの、実際の人々の動きをみると、放射状の基幹交通の混雑緩和が進む一方で、むしろ、横を繋ぐセカンド・ベルトが、強烈な混雑をみせるようになってきている。
これまでは、中心へ向かう放射状の公共交通の混雑は、避けられないものと考えられてきた。郊外の側に居る人は、長い間、この求心的な交通網への嫌悪感を抱いてきた。ところがその一方で、郊外側の都市には開発投資もされ、様々な機能をそれなりの質でもてるようになり、生活圏、あるいは経済圏としても徐々に自立しつつある。
■ポリ・セントリック・シティー ――多核拠点都市の台頭
もともと、一極集中とは対極に位置する都市群の代表例として、ドイツのルール地方が挙げられる。ルール地方には、確たる中心を構成している都市がなく、エッセン、ボーフム、ドルトムント、オーバーハウゼン、ゲルゼンキルヒェン、デュイスブルグといった、人口20万人から最大でも60万人程度の11の都市が、鉄道沿いに横に連なっている。周辺郡部も入れると、地域全体で約540万人口圏になる。
これらの都市は、一つひとつの単位では、経済も機能もまったく完結されていないが、都市間の機能分散とシナジー効果が大変に上手くなされている。これらの都市を、公共交通が横串で指すように繋げているために、どこの街からどこの街へも、おおむね1時間以内で移動することができ、適度な職住分散が成立している。多様なライフスタイルと価値観をもった人たちが、目的に応じて都市間を思い思いに行き来することで、一定水準のサービスが受けられ、働くことでも遊ぶことでも、一定の満足が得られるようになっている。
ルール地方は、炭鉱や鉄鋼といった重工業の町であったがゆえに、近年は産業衰退や失業の増加が問題になってきた。そこで、1980年頃に、ローカル・オーソリティー・イン・ルールゲビートという都市連合が形成され、国や州の政策とは独立して、連合体として都市活性化を考えてきた政策が、その背景にある。その結果、都市間協調と競争にもとづく新たな機能分散を目指した開発が進み、この地域の復興に貢献してきた。
例えば、この圏内の中心地争いが、オーバーハウゼンとデュイスブルグの間で繰り広げられてきている。オーバーハウゼンの戦略をみると、駅前商店街をリストラして住宅街に転換し、駅直近にマンション群を開発するなど、ドラスティックな再開発を行ってきている。
このように、数珠繋がりの拠点都市を上手に結びながら、新しい人の動きと街の活性化を促進するということが、各地で盛んになっている。パリも、T1、T2といわれる周辺の幹線交通や、新しい地下鉄路線などのセカンド・ベルトが整備されてきている。
日本では前述した南武線が、もともとルール地方の公共交通に近い役割を果たしてきた。南武線沿いには、NEC、富士通、東芝といった企業の本社や事業所、研究所、工場などが点在している。最近は、立川、溝口、川崎などの駅前商業地も再開発されてきている。結果的に、昔ながらのセカンド・ベルトであった南武線が、ビジネス目的の移動、あるいは休日の生活者の移動などで、時代の変化に応じて、複数の都市間を柔軟に結び付ける役目を果たしてきたといえる。
私は、交通論の専門家ではないが、交通というのは、都市や地域の自律的な発展を促すうえで、非常に重要な要素である。都市開発、地域開発というと、一つひとつの拠点ごとに完結した計画を考えがちだが、そもそも中小規模の生活都市が、自己完結的にすべての機能を備えることには無理がある。ルール地方のように、多核拠点都市=ポリ・セントリック・シティーが相互に機能特化を図りつつ、個性的な街づくりを志向するなかで、全体としてある1つの圏域を自律的に生成していく方向が、日本の首都圏でも活発化していくことになるだろう。その萌芽は、すでに千葉や横浜においても、かなりみられる。
■東京周辺にみる“自立する圏域”の形成
首都圏の放射状の基幹交通にも変化が表れている。最も典型的な例は、京葉線だろう。千葉方面に住んで東京へ勤務する人と、逆に幕張新都心へ勤務する人は東京方面から行き来するという、完全に双方向の動線になっている。
また、恵比寿を通って埼京線と繋がった湘南ライナーは、もはや大船方面に住んでいる人が、新宿方向へ通うためだけの幹線ではない。新宿、大崎、品川、川崎といった、業務や生活の拠点を相互に繋いで、どこに住んでいる人が、どこの勤務地へも行けるような、多方向的な交通機能に変わってきている。既存の放射状の交通網ですら、かつてのベッドタウンと東京を繋ぐ単方向的な機能とは、明らかに変わってきているのである。
首都圏では、横浜が自立志向の方向で展開してきている。昼夜間比率がかつて0.8だったのが、0.91程度まで来ている。横浜から東京へ向かう人は85万人くらいでさほど変化はないが、東京から横浜へ向かう人が増加している。
逆に埼玉や、千葉北西部の流山、松戸、市川、浦安、柏のあたりは都心志向が非常に強く、ほとんど東京都民に近い行動をとっている。しかしながら、千葉県のそれ以外の地域については、かなりユニークな自立志向がみえてきている。
私の研究室の学生が数年前に、千葉県民の目的別の移動について調査したデータによれば、明らかに東京一極集中のエリアに入っているのは、北西部の一帯と、せいぜい八街など東京へ直行の電車が出ている所だけである。じつは、あとのほとんどのエリアは、茂原、東金、成東、あるいは八日市場、木更津といった街を拠点に、いくつかの自立的な経済・生活圏域を形成しているのである。(図表参照)
千葉県内には、いくつかの多核拠点都市が形成されていて、千葉県の中心が、決して千葉市ではないこと、各地に自立した動線が還流する圏域が出来上がっていることが、データから顕著に読み取れる。千葉市街への業務目的の移動はそれなりにあるものの、通学や遊びの目的となると、それぞれの域内の拠点都市への移動で、ほぼ自足している。
■図表■
・業務目的の移動
・通勤目的の移動
・通学目的の移動
・私事目的の移動
図版提供:松野由希(法政大学大学院)
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