CONTENTSへ幕張アーバニストTopへ幕張新都心Indexへ


■提言 MAKUHARI 21■マクハリ、未来型集積へ

日本の戦略優位と地域クラスター
 ──幕張に立てる旗(1)

藤本隆宏■東京大学教授、ハーバード大学上級研究員

80年代の楽観論と90年代の悲観論。
その“振れ”に惑わされない産業政策が必要である。



アーキテクチャという考え方

写真
 国でも地域でも総花的な産業政策は限界を迎えている。そのなかで産業クラスターという言葉を、ハーバード・ビジネススクールのマイケル・ポーターが言い始めて、最近、日本でも使われるようになってきた。その背景には、シリコンバレーの集積とか、ナパバレーのようなアメリカの産業構造の成功の分析が議論のもとになっている。
 しかし、産地や産業集積の議論は、もともと日本やヨーロッパには昔から中小企業論や、企業城下町における下請け論といった分野にあったものである。むしろ、米国はその議論に一番縁が遠かった国なのだが、90年代に入って、デジタル財の拡大によって米国経済が再生した背景で地域の集積が着目されたことから、日本でも地域論がにわかに活発になった。
 私は日本の場合、既存の産業分類では、産業構造を捉えられなくなっていると思っている。産業クラスターに関しても、既存の産業分類とは異なる「アーキテクチャ」*という概念を使って整理してみることを考えている。日本と米国は、得意とする製品の設計思想すなわちアーキテクチャが違うのである。かつて日本が強かった時には、「もはや欧米に学ぶものなし」などと言っていたが、最近は「すべて米国に学べ」となってしまった。こうした極端な振れにおちいらずに、将来の産業政策ビジョンや経営戦略を描くにあたって、個々の産業の特性の違いを「アーキテクチャ」の違いとして理解することが大切だと考える。

*詳しくは藤本隆宏・武石彰・青島矢一著『ビジネス・アーキテクチャ』(有斐閣、2001)を参照


「擦合せ型」が得意な日本、「組合せ型」が得意な米国

 米国は、過去200年間、移民の国としてあり、社会全体がモジュラー的なものを得意としてきた歴史背景をもつ。米国社会のルール(インターフェース)が理解でき、しかも能力のある人間を即戦力として使うことを国是としてきた。そうして社会はモジュラー型の製品と相性がよい。モジュラー型(組合せ型)というのは、レゴブロックのようにそれぞれが独立した機能と標準インターフェースを持ち、それを単純に組み合わせ、寄せ集めればまともな製品ができてしまうというアーキテクチャである。パソコンや、OS(基本ソフト)などは、モジュラー型製品の最たるものといえる。「組合せ型」製品に必要なのは「事前のシステム構想力」と、寄せ集めるべき技術を選ぶ「目利き能力」である。「組合せ型」ではものをつくるときには各部品(モジュール)の設計者は、他の部品の設計をあまり気にせず、なるべくお互いに擦合せをなくしましょう、ということでやることができる。たしかにこういうものは米国が強い。
 また中国企業も、設計思想的には組合せ型に強く、その点では米国と中国は相性が良い。
 これに対して、戦後の日本企業が得意だったのは、家電や自動車などに典型的な、「まとめる力」が必要な産業、つまり「擦合せ(すりあわせ)型」の産業だった。これは、経済合理性から考えてもごく当たり前で、長期雇用、長期取引、相互調整、チームーワークといった戦後日本企業のもっていた組織の能力が、「擦合せ型」の産業と相性が良かったといえる。
 ところがここに来て、モノ作りの「まとめる能力」はあっても、戦略的な構想力や、ブランドを生み出すような表現力が弱いのでヨーロッパで通用しない、あるいは、人の動員力ではもはや中国にはかなわない。ここ一番の集中力では韓国にかなわない。日本の弱点も明らかになってきた。
 そこで、米国などに学んで、モジュール的な戦略の追随を始めようとの声が大きいわけで、それも大事だが、逆に思い切って、「日本の得意な擦合せで勝負しようじゃないか」といった戦略発想があってもいいと考えている。



日本に何を残すべきなのか

 「擦合せ」のアーキテクチャで考えると、旧通産省が決めた産業分類という枠の中で、何が外国に出ていき、何が日本に残るというだけの話ではない。あるいはまた、労働集約的なものが出て、技術集約的なものが日本に残るというだけの単純な話でもない。「高付加価値」というのも、結果として正しいとしても、戦略の決定にはあまり役に立たないことが多い。とくに過去の日本では、政府や業界団体の産業ビジョンなどで「高付加価値」という旗が立った製品分野にみんなが集中してしまって、結局「高付加価値=低利潤」の構造に陥ってしまうということを繰り返す産業も少なくなかった。
 将来ビジョンを描くとき、このような既存の産業分類や思考法は、いったんすべて忘れ去る、というのも1つの考え方だろう。
 したがって、地域で産業クラスター論をやる場合にも、まずは「何をやるのか」「どんなアーキテクチャのものを作るのか」といった話がなければ始まらない。日本全体にとっても、確固たる戦略があり、ビジネスモデルがある企業が日本に残っていてもらわないと困るということになる。厳しくいえば、それ以外の企業は、「居てくれてもいいが別に出ていってもらってもかまわない」ということなのだ。
 結局、戦後日本企業の能力をどう評価するかといえば、現場の「まとめ能力」や「統合力」がコア・コンピタンスであるというパターンは変わっておらず、これは東アジア諸国をみても、日本の能力が突出している。いまだに「擦合せ型のモノ作りをやらせたら日本が一番」というケースはたくさんある。
 つまり「加工度や既存産業分類にこだわらずに得意技に集中せよ」ということである。すべてをフルセットで抱え込む、完成品にこだわる発想というのは、「国のメンツをかけて」などと言っていた時代の遺物にすぎない。

次のページへ
CONTENTSへ幕張アーバニストTopへ幕張新都心Indexへ