(幕張ベイタウン年表)
曽根■渡辺、蓑原の両先生が、千葉県企業庁側でマスタープランをつくられ、すでにベイタウンを沿道型の建築で作るというイメージを持っていた。そこへ私と大村虔一さんが呼ばれて、この事業を10年かけて実現していきたいから、実務的な面に力を貸してくれといわれた。そこで、私が都市デザイン、大村氏が事業化という役割で、具体的な仕掛けを、つまりガイドラインと事業を運用するための調整の仕組みを創ることに取り組んだわけです。
幸いなことにベイタウンの事業には、有力なディベロッパーのほとんどが参加した。そこで、各事業グループに1人ずつ事業調整のコーディネーター(計画設計調整者)を付けようということになった。人選には、当時50代半ば前後の、酸いも甘いも噛み分けた人たちを選んだ。「俺にやらせろ」などとしゃしゃり出るようなこともなく、コーディネートに徹せられる人材こそ必要だと思われたからです。
彼らは全員、都市デザインの「理念」をきちんと理解できる人たちであり、また言い換えれば、日本のタウンスケープに批判的な見識を持っている人たちでした。
──企業庁はデザイン重視の街づくりをしようということで、都市デザインガイドラインの運用にはかなり力をいれました。
曽根■いま全国約2500市町村の1割程度が、景観行政のためのガイドラインを持っています。しかし大抵の場合、マニュアル的な刷り物は作るが、実際に運用をしていくための技術やノウハウがすっぽりと欠落している。それだけでなく、ガイドライン運用のための予算がまったく付かないというのが日本の現状です。
厳しい言い方ですが、日本人は、「環境」というフィジカルなものへの意識が希薄です。とくに行政、官僚にまず「街のイメージ」の明確な政策が不在です。トータルなビジョンなしに、戦後、建築基準法に始まり、特定街区、高度利用、地区計画といった制度を場当たり的に作ってきた。こうした法制システムが、逆にビジョンの存立を阻害してきた面もあると思っています。