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特集●都市型居住と幕張方式
――幕張ベイタウンが目指す第三の道


座談会■コーポラティブ・プロジェクト
    としての都市づくり

     ――ベイタウンに学んだもの(2)

苦肉の策だった「幕張方式」が多くの価値を生み出した

写真安藤■いま大室さんがおっしゃられたソフト的な思想が、やはりベイタウンの最大の差別性だと思いますね。それはどこから来ているのかといえば、「幕張方式」といわれる独特の事業方式にあるわけです。
 供給が長期にわたる開発は、景気動向によって中断や変更が多々出てくるんですが、ともかく絶対に中断させないという決意のもとに、企業庁はじめ事業者全員が一丸となって取り組んできた。この街を将来どんな街にしていくのか、しっかりした長期ビジョンがあって、8グループ36社の事業設計を具体的に導いていくガイドラインが非常にしっかりしていた。そこに事業者がうまく乗って、落ちこぼれなく足並み揃えて続けてこれたんじゃないでしょうか。

渡辺■事業を中断させないための工夫というので、苦心した結果、「幕張方式」という新しい事業運営方式が生まれたんですね。ガイドラインをつくって、事業者間の調整に労力を割いていくという点が1つ。それからもう1つが、地権者である千葉県が土地を保有し続けて、事業者は空間だけで事業を展開していくということ。そのために、「土地転貸借権付」という供給方式を編み出したわけです。ディベロッパーにとっても、消費者にとっても、従来考えたこともなかったような方式なので、最初はとまどいもあったでしょう。

大室■幕張方式が構想された時点では、土地転貸借権という考え方は、世の中に出てなかったですね。

安藤■なかったです。ちょうど「土地所有から土地利用へ」などと言われ始めていた時代の流れを、幕張方式が先取りしたかたちになりました。

大室■あのときはみんな無我夢中でしたね。見たことも聞いたこともない事業、一体どうやって社内を説得するんだとか(笑)。ですから、その後、幕張が始めたこの分譲方式が世の中に広く定着したというのは、大変画期的でした。

安藤■とにかくありとあらゆるプランを検討しましたよね。県としては、県民の大切な資産である土地をディベロッパーに安易に売却したくない。住宅についても、できるだけ賃貸を多くして人の流動性を促し、賑わいを加速させたいという思いを持たれていた。しかし、事業者側としては、賃貸ばかりでは資金が回収できない。当然ですが、できるだけ分譲を多くして早く資金を回収したいわけです。
 このあたりの資金回収の仕組みは、我々事業者と企業庁との間で、最も議論したところだと思うんです。折衝と調整を繰り返して、最終的に県の方で、分譲/賃貸比率を定めていただいた。

大室■いま考えてみると、企業庁とはずいぶんケンカもしたけれど(笑)、よく我々の意見も聞いて決断してくれたなと思います。公共としての「理念」を貫きながら、一方では民間と協調しながら事業を主導していくというのは、大英断でしょう。

渡辺■だから我々、調整担当者としては必死ですよ。どんな知恵でも使えるものは何でも使ってきたという感じがします。とにかく36事業者が口々に「やめる」「できません」と言ってるんですから(笑)。

大室■そうでしたよね。

安藤■正直言って、最初に入札の資料を見たとき、「本当に、こんな事業が実現するのか?」と思いました(笑)。デザインのコンセプトもさることながら、こんな実験的なプロジェクトに事業者はどうやって入札すればいいのか、応札したはいいが、その後一体どうやって運営していくのか、心配でした。

大室■たぶん時代の勢いもあったと思うんです。幕張新都心の立ち上がりは、あの当時としては、大変な成功事例でした。三井不動産のワールドビジネスガーデンにしても、あれだけ大規模なテナントビルが、大手一流企業さんを中心に短期間に埋まったし、それならば住宅のほうでも、新しい基軸を打ち出していきたいというのが、一番大きな動機でしたね。
 実際、あれだけ大規模な計画に挑戦するのは初めての試みでしたから、正直なところ、事業としてどの程度の成功が見込めるのかとか、ほとんど見えていなかったです。

安藤■確かに、まったく新しい街をつくるということで、勢いに押されて取り組んだような面はありましたね。前例のない斬新な試みだけに、リスクはあるけれども、計画としては非常に面白いものだし、これは何としてでも取り組もうじゃないかと決意した。
 最終的に、参加事業者はいずれも力のある有力な企業ばかりが集まったわけですが、大室さんが言われたように最初はみんな、「この試みにとにかく参加してみよう」と、勢いで手を挙げたのだと思います。

渡辺■その時代の勢いの背景には、経済成長や業務拡大の勢いと同時に、「住む」ことについての人々の考え方の大きな変化があったということです。畳の生活での立ち居振る舞いを知っている世代がほとんどいなくなり、洋風化された生活スタイルが当たり前になった。家の中での生活行動も、アメリカ、ヨーロッパとあまり変わらなくなってきた。
 さらには、少子化になって子どもが1人、2人という時代になり、家庭の中での子供の養育、しつけのスタイルが変わったことが、都市生活の中で住宅が変わる大きな要因になったと思います。

大室■より良質な都市居住を提案したいということで、1戸当たりの広さも当時の平均より1〜2割大きい、80〜90平方メートルを主流にするという話になっていった。そうすると、値段も張ってくる。供給者サイドからすれば売りにくくなるわけですが、結果的にみると、転貸借権付というアイデアが、じつに上手くその解決策になった。

渡辺■結果論としてはね。妥協と苦心の末に生まれた方式が、意外にもさまざまな面で事業を上手く引っ張ってきた。

大室■もしあのとき、仮に土地付建物の分譲というケースになっていたら、今日のようなベイタウンのグレードは実現し得なかったでしょう。土地のウェイトを減らしたことで、良質な建物と空間が供給できて、また、それがマーケットインした。
 この十数年、ベイタウンは新しい集合住宅のデザインを先駆けてきて、これだけの素晴らしい街ができたことを誇りに思うわけですが、いま思い出すと「あの当時の議論って何だったのかな?」と不思議な感じすらします。

渡辺■おっしゃるとおりです。県とすれば「我々の土地の上の空間を安売りしてもらっちゃ困る。しかし賃貸もほどほどに混ぜて、有効に活用してほしい」。買い手からすれば「土地は定期借地権なのだから、土地付物件より割安にしてもらわないと困る」。その両者の論理のせめぎ合いがあって、「低層で沿道型」という良質のコンセプトを守りつつ、かつ住戸の密度も高くできるという策に、行き着くことができたんだと思います。
 じつは最初にモデルをつくってシミュレーションしたときに、80m角の街区というのが、建ぺい率からみても非常に上手くいくことを発見したんですよ。80m角の敷地を道路で囲んで、高さを25〜26mにすると、建ぺい率がちょうど50%程度になり、最大面積の空地がとれた。つまり、80m角というサイズは、ちょうど容積と空地とのバランスがよくなるんです。
 土地転貸借方式にこだわった議論の結果が、他にはない街づくりに結実しているんですね。

■図表■
・都市デザインおよび事業推進調整フロー
・事業グループおよび計画設計調整者

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