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特集●都市型居住と幕張方式
――幕張ベイタウンが目指す第三の道


■基調コメント■
幕張ベイタウンとは何だったのか
蓑原 敬■都市プランナー/幕張ベイタウン事業計画調整委員

幕張ベイタウンの評価は歴史が下すだろう。
まだ街開きから8年しか経っていない街である。
だが、あえて、このあたりで一応の総括をしてみたい。



21世紀の街の新しいDNAは産まれたか?

写真
 1987年ごろ千葉県企業庁が幕張ベイタウンの企画立案者達に与えた課題は、21世紀に歓迎され、21世紀を生き残る住宅地の企画だった。日本の20世紀の街は、区画整理事業で造られた街路パターンで区切られた宅地の上に、建築基準法ルール内でさえあればほとんど勝手に乱雑な建物が建ち並ぶか、巨大な公的な事業主体や民間の大開発事業者が一括してデザインし、建築してしまう単調な住宅団地で埋められてしまうか、だった。これでは、21世紀には歓迎もされなければ、生き残ることも難しいだろう。
 企画立案者たちは、住宅で街を造る、新しい空間モデルを追求した。21世紀の日本の街の新しいDNAが欲しい。街は、閉鎖された団地ではない、外に向かって開かれていなければならない。街は屋内屋外を問わず人の豊かな生活が要求する用途、機能、環境空間を欠かさず備えていなければいけない。立体的な用途複合は不可避だ。街は住む人の年齢、世帯構成、社会関係、文化的な営みなどと呼応しながら成長し、成熟し、変化する。時間の推移に耐えうる街を作り出す必要がある。一言で言えば、空間形成と経営における持続性の保証の問題の解決だ。それを21世紀初頭の文化的な文脈の中で解かなければならない。
 結論は、ヨーロッパ2000年の歴史で濾過されて来た沿道中庭型の街並みに近いものとなった。去年、千葉国際マラソンのランナーがベイタウンの中を走り抜けた時、アナウンサーは「ヨーロッパ風の石畳の街」と表現したが、それが最初から意図されたわけではない。結果としてそうなったのだ。このDNAは区画整理された日本の街区に見事に嵌る。新しいDNAは新しいがゆえに、世論と市場のテストを受けていない。事業者も常識的な専門家も当然そのリスクを避けたがる。だが、ここでは、そのリスクをあえて引き受けた。提案した専門家の見識と採択した企業庁の英断が鍵だった。新しいDNAが生まれた。なぜならそれは生き生きと成長し始めているからだ。



多様な開発主体の綿密な連携が可能だったか?

 質の高い巨大開発プロジェクトを時間をかけて創り上げていくためには、様々な開発主体の綿密な連携が不可欠だ。縦割りの公共セクター部門間の調整だけではなく、多くの民間セクターとの連携、住民が住み始めれば住民との連携も要る。このような連携は誠に手がかかる面倒な仕事で、通常は手間隙を省く形で仕事が進んでしまう。
 幕張ベイタウンではこの連携に成功した。企業庁が手間隙を惜しまなかっただけでなく、民間事業者も、短期の損得勘定を離れた協力を惜しまなかったし、住民も非常に高い密度で連携してきた。もちろん職人気質の専門家集団の欲得を離れた献身もある。この辺については、別項の座談会でその片鱗が見えるはずだ。



日本で都市デザインが可能だったか?

 日本では、一般の市街地はもとより、計画団地であっても、いったん多様な事業主体を引き入れると、大きなプロジェクトの実現過程での都市デザインは出来ない。街並みの空間コンセプトをデザインし、それを実現するという社会的なプロセスが無いのだ。都市デザインを可能にするためには専門家の技術力が必要だが、日本にそれが無いわけではない。企画段階から実施段階までを貫く都市デザインを管理する社会的な過程が欠けているのだ。日本ではそれが成立した試しがない。
 ところが幕張ベイタウンでは、それが出来てしまっている。この点については、別項で曽根幸一氏が縦横に語っているはずだ。これを可能にしているのは千葉県の持続した志だ。知事、企業庁の強い志抜きでは決して成立しない過程だった。日本でも基幹事業主体の志さえあれば、都市デザインは成立することをベイタウンで実証した。



個別のマンションではなく、街が売れるのか?


 当初の懸念は今では杞憂であることがはっきりしている。ベイタウンの営業は他の地区よりはるかに容易であるし、比較的高い単価でも売れる。貸せる。ベイタウンは事業的にも成功してきた。基本的には、新しいライフスタイルに適応した商品を提供できているからだが、もちろん、短期的、近視眼的な営業感覚と戦いながら、ともかく売りぬいてきた民間事業者の努力も大きい。しかし、ともすれば安易に流れ、自分たちだけの利害で勝負したくなる民間事業者を叱咤激励しながら、ここまで引っ張ってきた企業庁職員やその背後で原理原則に固執し、それを貫徹させようと躍起になってきた専門家集団の努力が欠かせなかった。
 だが、街は売れた。それが証拠には、ベイタウンを買った人たちのアンケート調査によると彼らの多くは"街"を買っている。決して個別のマンションの評価が優先してはいない。
 街を売るためには、マンション事業者が得意でない商業店舗の誘致など、他では必要とされない努力が要る。また、街の重要な文化的な下支えになる小学校、中学校の質も重要な売りになる。千葉市教育委員会は、打瀬小学校という傑作を産み出してくれ、特に初代校長さんの闊達な教育方針とコミュニティに馳せる思いが、街の強い売りになった。まだ、部分的ではあるけれども、先行的にベイタウンに入って街の文化を高めてくれている優れた商業者がいる。安くて質が飛びぬけて高いフランス料理屋、ネパール料理屋、東京都心でも十分に売れる洋菓子屋、個性的な拘りで街の雰囲気を造ってくれている雑貨屋や本屋、質の高い八百屋など、街の中に宝石が鏤められている。これらの街が幕張の風俗さえ産み出しつつある。
 『VERY』という女性誌の2001年3月号では、東京のシロガネ−ゼと並んで“美浜ハッピースタイル”*という幕張ベイタウンファッションを紹介している。嘘だと思うなら、ベイタウンを歩く人たちをゆっくり観察してみればよい。TVのコマーシャルやドラマの舞台に取り上げられることも多い。創造的な街は売れることを幕張は実証しつつある。

(* ネーミングはベイタウンの住所、千葉市美浜区からとっている。)


創造的な街を買った人たちはアクテイブな街人間


 この街に移り住んだ人々は、どこか他の地区とは違うところがある。まず、街という都市的な共同生活、ちょっとクールに人との距離を測りながらも、積極的に共に住むことを楽しむ人が多い。数十年の歴史を誇る多摩ニュータウンなどに比べても、住民相互間の活動、特にITネットワーク上の付き合いは群を抜いて濃密である。その現れは、街角の付き合い、中庭での付き合いから始まって、初夏のベイタウン祭りで最高潮になるのが観察される。
 昨年オープンした、幕張ベイタウン・コアという公民館スペースの活動への参加の仕方を見ても歴然としている。質の高い音楽を楽しむために、自分たちの負担と経営能力で高級ピアノを入れてしまう街が、他の何処にあるだろう。自ら住む街の生活の質を高め、自らの資産の価値を維持しようとする住民の意欲がはっきり現れている。ここでは欧米型の生活を楽しみ資産を維持していく意識が、確実に根を下ろし始めている。



この街は生き残れるか?


 この街にも弱点は多い。若い人たちの圧倒的な支持を受けているために、高齢者には住みにくい街になっている。医療福祉施設や、福祉活動が育ち難い。街の賑わいに必要な店や事務所を増やす努力が足りない。特にSOHOなどに利用できる事務所も欲しい。特別な街路パターンをもつために特別な交通対策が要るのだが、未だ十分な配慮が無い。
 これから問題になってくるのは、土地の問題である。建設段階を終えた後に、企業庁や民間企業者が土地をどう管理経営していくのか、まだ見えない。だが、100年以上経っても最も美しい住宅地でありつづけているイギリスの田園都市第一号、レッチワ−スのような街の土地経営管理方式を、ここで成立させる余地が残っている。
 空洞化していく中心市街地、突如として高密度開発で環境が激変してしまう既成市街地、高齢化の波に曝されて荒廃する住宅団地などに比べれば、ベイタウンは21世紀に生き残る可能性を残している。安定した街の環境が維持更新されるシステムがビルトインされているからだ。すでにベイタウン内での住み替えも多発している。
 街は愛され住み続けられるられるだろう──そんな期待を抱かせるモデルが成立しているのだ。


みのはら・けい●都市プランナー
1933年生まれ。建設省と茨城県で都市計画と住宅行政の政策立案と現場を経験。現在、・蓑原計画事務所を主宰。幕張ベイタウンをはじめとする多数の都市計画・住宅開発事業に参画。

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