ぼくは東京・向島の生まれである。昭和30年代、中高校生だったころ、家から歩いていける距離に映画館が7つはあったはずである。それらのおかげで、ティーンエージャーの感情生活は、それなりに豊かなものになったと思う。
いま、ぼくは東京・江東区に住んでいる。かつての少年も61歳である。それはそれとして、このごろ、掘割りに近いアパートから十分歩ける距離に映画館が8つできた。残された人生の時間はどれほどか知らないけれど、歩けるかぎり映画館に行けると思いながら生きられるのは、ありがたい。
かつての7つは、街のなかに散らばっていた。いまの8つは、ショッピング・センターのなかに集められ、シネマ・コンプレックス略してシネコンと称される。
映画館をめぐる環境も大きく変わっている。昭和30年代は、テレビが急激に影響力を増し、映画に襲いかかっていた。この時代に、日本の映画の観客動員数はピークを迎え、以後衰弱していく。ぼくは映画が最後の光を放ったときに遭遇したことになる。
現在はと言えば、映像メディアは映画やテレビに限らない。ヴィデオ、DVD、インターネットなどのソフト、あるいはカラオケ・スタジオやゲーム・センター、テーマ・パーク、屋外広告など映像に接することのできる場も多岐にわたる。あるいは、ケータイという形で、掌のなかに包み込める動画まで登場している。
映像はどこにでもあり、手を伸ばせばすぐ届く。ワクワクしながら映画館へ通った、ぼくたちの子どものころには考えられなかったことである。あの当時は、干天に雨を求めるようにして、近所の映画館に通った。だから、7つあってもけっして多すぎるということはなかった。
しかし、映像氾濫のいまとなっては、同じショッピングセンターに8館というのは、いかにも多すぎるか。いや、そうではないであろう。シネコンというスタイルは、未来を指し示していると思われるからである。