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巻頭コラム■URBANIST IN MAKUHARI

シネマの21世紀―――シネコンから広がる映画の楽しみ

枝川公一■コラムニスト


2002年6月、幕張新都心にシネマ・コンプレックスがオープンする。
映画をテーマパーク感覚で楽しめることで期待が高まっている。
コミュニケーション・メディアとしての映画の楽しみが、シネコンから街へ広がっていく。




ケータイから、ふたたびスクリーンへ

 ぼくは東京・向島の生まれである。昭和30年代、中高校生だったころ、家から歩いていける距離に映画館が7つはあったはずである。それらのおかげで、ティーンエージャーの感情生活は、それなりに豊かなものになったと思う。
 いま、ぼくは東京・江東区に住んでいる。かつての少年も61歳である。それはそれとして、このごろ、掘割りに近いアパートから十分歩ける距離に映画館が8つできた。残された人生の時間はどれほどか知らないけれど、歩けるかぎり映画館に行けると思いながら生きられるのは、ありがたい。
 かつての7つは、街のなかに散らばっていた。いまの8つは、ショッピング・センターのなかに集められ、シネマ・コンプレックス略してシネコンと称される。
 映画館をめぐる環境も大きく変わっている。昭和30年代は、テレビが急激に影響力を増し、映画に襲いかかっていた。この時代に、日本の映画の観客動員数はピークを迎え、以後衰弱していく。ぼくは映画が最後の光を放ったときに遭遇したことになる。
 現在はと言えば、映像メディアは映画やテレビに限らない。ヴィデオ、DVD、インターネットなどのソフト、あるいはカラオケ・スタジオやゲーム・センター、テーマ・パーク、屋外広告など映像に接することのできる場も多岐にわたる。あるいは、ケータイという形で、掌のなかに包み込める動画まで登場している。
 映像はどこにでもあり、手を伸ばせばすぐ届く。ワクワクしながら映画館へ通った、ぼくたちの子どものころには考えられなかったことである。あの当時は、干天に雨を求めるようにして、近所の映画館に通った。だから、7つあってもけっして多すぎるということはなかった。
 しかし、映像氾濫のいまとなっては、同じショッピングセンターに8館というのは、いかにも多すぎるか。いや、そうではないであろう。シネコンというスタイルは、未来を指し示していると思われるからである。


失われたコミュニケーションの回復

 21世紀は、「コミュニケーション・メディア」が優勢になるであろう。
 20世紀の後半、日本でいえば昭和30年代以降の趨勢とはだいぶちがう様相を呈するはずである。
 アメリカ、日本などの先進社会は、これまで、ひたすら「ディスコミニュニケーション・メディア」へ向かってまい進してきた。人と人とのコミュニケーションをメディアが断ち切るというありかたである。
 テレビは、「お茶の間」の団欒を促進するのではなく、家族同士が話をしない状況をつくりだした。やがては、自分の部屋の自分のテレビへと、家族が散り散りになっていったのは、よく知られている。
 ウォークマンというハードは、この傾向を極限まで押し進める役割を果たした。日本の技術が生み出した、この「ひとりオーディオ」装置は、街頭でも密室と同じ条件を生み出し、人々を満足させた。
 しかし、1990年代以降に急速に進歩することになったIT技術によって新たに生み出されつつあるメディアは、逆に人と人のコミュニケーションを促すものである。この「コミュニケーション・メディア」の典型がEメールであろう。それは、手紙とも電話ともちがい、送受信を繰り返すにつれて、人間が発信力を回復していく、魔法の道具の感がある。
 技術を介して、人がおたがいのつながりの大切さに気づく。これが、Eメールをはじめとするオンライン・メディアの、ほんとうに偉大な効用である。
 そのようないま、映画は古くて新しいメディアとして再生しつつあると見ることができる。大きな画面と、サラウンドな音響、そして密度の濃いコンテンツを、親しい人々と一緒に体験する。あるいは、見てきた映画を話題にすることで、心の通い合いが生まれる。
 数ある映像のなかで、映画は「コミュニケーション・メディア」として群を抜いている。ここに21世紀的な価値を見出させる。


街に映画の楽しみが戻ってきた

 街に映画館が戻ってきた。しかし、かつてのように、街のあちこちに埋め込まれるのではなく、シネコンとして集中し、そのなかで、さまざまのテイストの映画が上映される、いくつものムーヴィ・ハウスに分散するのである。
 集中と分散。この現象は都市に於ける遊びが、ますますテーマパーク型になってきていることと、深い関係があるにちがいない。
 ディズニーランドは、そのスペースの内部に人々を囲い込んで、提供する遊びに没頭させることに成功した。遊びに没入でき、他へ気が散らないことが、興奮につながる。
 お台場のショッピング・ビルのつくりかたも、この原則に従っているわけだし、東京ベイエリアにカジノを建設する大計画もあるそうだが、同様の志向であろう。
 一方で、都市の人間の好みは細分化の一途をたどっている。したがって、同じ遊び場に集いながら、それぞれに自由に「遊び方」を選べなければならならない。レストランで食事のメニューを前にあれこれ思案するのと同じ贅沢を、シネコンは許容してくれるわけである。
 ところで、ぼくの行きつけの床屋さんが、新たに登場したシネコンから歩いて数分のところに住んでいる。娘がふたりいる一家の新しい楽しみは、夕食もそこそこに、家族揃って、8時過ぎからの最終回(料金割引あり)の映画を観にいくことだという。おかげでぼくは、頭をやってもらいながら、我が理髪師の鋭くも楽しい映画評に耳を傾けることができるようになった。これも、このごろの幸せのひとつである。

えだがわ・こういち●コラムニスト、ノンフィクション作家
1940年生まれ。都市を歩くという独自のスタイルのもとに、人々の生きる都市を鋭く活写する文章に定評がある。
ウェブマガジン「ウェーヴ・ザ・フラッグ」主宰。著書多数。編者として加わった新刊『9月11日・メディアが試された日』が話題を呼んでいる。

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