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レポート■幕張ベイタウンの消費と市場2002

ベイタウン街路考

取材・文■中山 進

「街路の生存能力は、人びとのヒューマニティと、
周囲の建物に依存している」と言ったのは、
『人間のための街路』の著者、B・ルドフスキーである。
幕張ベイタウンの商業街路は、ようやく体裁が整った段階であり、
今後どのような発展を遂げるのかは予想が難しい。
その空間と景観、商業集積特性、そして
幕張ベイタウンに住まう人々の世代背景から、
街路とコミュニティの未来を考える。



1. 街路と中庭が創るまち「幕張ベイタウン

パサージュか縁側か

 「個人にとって外的であるようなかなり多くのものが、集団にとって内的なもの」となった「外側のない家か廊下」というベンヤミンの19世紀パリのパサージュ論は、幕張ベイタウンに も当てはまる。居住者にとって、余所者が通る機会の少ない時間帯は、特に、本来は個人の外的な存在であるプロムナードを内的なものと感じられるのではないだろうか。
 しかし、ここを19世紀パリのパサージュと言い切るには、いかにも道幅が広くて開放的である。いわば、オスマンによって視線と風の通りが良くなった後の街路に、大改造によって取り払われたパサージュを再現したようなものではないか。
 ベイタウンのプロムナードは遊歩者に夢の時間を提供するという意志はもちながら、健康的で清潔を求めるもう一つの近代の観念にも対応し、未だ折り合いがついていない。本来裏道であるパサージュや皆が同じ世間を生きるという日本的な「縁側」の役割は充分に果たしていないという印象である。代官山や表参道で軽自動車バンによってエスプレッソなどを販売する「珈琲屋台」も、ベイタウンで営業を開始したが、街路に駐車している他の車に紛れてどこか遠慮がちで、代官山や表参道の場合のように人の流れや視線を集める力を発揮していない。
 ベイタウンには各街区に中庭や集会場があり、「縁側」的な機能を担っている。従って、ベイタウン全体を俯瞰しないと「外側のない家か廊下」という構造はよく見えてこない。そこまで立ち入る機会がない余所者にとって、一度や二度のプロムナード散策では集団の夢を共有するまでには至らず、業種の構成や個々の店の振る舞いを楽しむに留まった。19世紀パリのパサージュに匹敵する遊歩の環境およびフラヌール(遊歩者)を想定するには、少し外の世界を参照する必要がありそうだ。


2.地域の顔となる商店街

大倉山を越えて

 小売商業が並ぶ街路は各地の住宅地あるいは駅前に見られる、商店街に他ならない。しかし、多くの商店街はロードサイドの大型商業施設などに流れた地域居住者を引き戻すことがで きず衰退の道を辿っている。
 ベイタウンと通底する要素をもった商店街(商業集積)を探し、ベイタウンの商店街としての位置付けを探ってみることにする。
 その視点の一つは、商売の成立という現実である。ベイタウンでいうと3つのヘアサロン、2つのDPEとコンビニ、そしてドラッグストアなどが、一定の人口があれば確実に存在する地域市場に対応した業種である。これらの業種はどこの商店街にも見られるが、ベイタウンのように旧来の商店街の域を抜け出た遊歩性を演出した事例は思いつかない。
 一つだけ、東急東横線の大倉山駅(横浜市港北区)前のエルム通り商店街を検証してみることにした。この商店街は、街のシンボルである大倉山記念館(昭和7年建築)がギリシャ風建築であることから、通りに面した多数の商店や会社が建物、ファサードを“ギリシャ風”にし、洋風の看板を掲げることによって、活性化を図った。エルム通りの商業・業務店舗は合計で91あり、ベイタウンが当面目指すところと規模も同程度である。多数のヘアサロンをはじめ、ドラッグストア、コンビニ、学習塾や飲食店などのベイタウンと同様の業種構成の側面をもっている。こうみると、ベイタウンの商業は住宅地というよりも駅前の商店街の業種構成に近い。エルム通りでは、この他にリサイクルショップ、惣菜店や介護サービスなど大倉山の地域のニーズに合わせた店舗の他、衣料品店や眼鏡店など既存の業種も元気にみえ、商業街路としての体裁は崩れていない。
 大倉山駅周辺は、マンションや団地が複数あり、ベイタウンのようなまとまりのある商圏や客層ではないために、「ギリシャ風」という明確な記号によって魅力の欠けてきた商店街を活性化することに成功した。しかし、これは「パルテノン多摩」やノートルダムをモデルにした港北ニュータウンの「アニヴェルセル ヴィラ ヨコハマ」などのようなテーマパーク型商業活性化の手法を駅前商店街に応用したものとい え、21世紀に通用するモデルとは思えない。


自由が丘というプラトーの上で

 ベイタウンの商業要素を探るもう一つの視点は、地域の顔となる可能性がある店舗である。すべての店舗を検討したわけではないので見逃している場合もあると思うが、ここではフランス伝統菓子の専門店 「クラックラン」 と、文芸、趣味、サブカルチャー等々“面白そうな”本や雑誌をガジェットな食品やグッズと同等に扱うユニークな本屋 「ヴィレッジヴァンガード」 (本店は名古屋)を手がかりにすることにする。
 大倉山と同じ東急東横線自由が丘駅(東京都目黒区)周辺には、日本で初めてモンブラン(ケーキ)を売り出し、支店をださない方針を昭和8年の開業以来貫いている洋菓子店 「モンブラン」 は、今でもここにしかない自由が丘の“顔”の一つである。そして、入ってみなければ楽しさが分らない「ヴィレッジヴァンガード」 も出店していて、 「モンブラン」 の歴史を知らない地元の新しい居住者である若い世代の遊歩に対応している。
 もはや全国区となってしまった自由が丘は、新しい商業施設や街路が増殖し、かつての面影は少なくなっている。細い街路が入り組む自由が丘の価値は、ここにしかない老舗や店主との対話をせずには商品が買えない間口の狭い商店が並ぶマーケット(建物の名前は自由が丘デパートという)、そして 「ヴィレッジヴァンガード」 のような商品の位置付けを組替えた新しい消費形態との出会いなど、目的がなくても時間を過 ごすことができる、まさに遊歩の楽しさを提供していることである。
 現代の消費の多くは地域から吸い上げられていく。しかし、自由が丘をみると、それでも地域に吸着する経済の大きさを感じる。また、都市計画のモチーフや建物のデザインは、その吸着力に大きくは影響していない。現代の遊歩者を魅惑するのは、人間によらない技術体系に管理された演出やサービスでななく、商業という、人間の仕事空間のパノラマである。地域で循環する経済は老化することがない。


3.街路からコミュニティが生まれる

商圏が地域コミュニティであった時代を夢見て

幕張ベイタウン周囲の公園や川は、外部の人間にとっては心理的バリアとして機能している。しかし、住人にとっては交通至便の、何の障害物もないバリアフリーな居住空間である。
 広域からの来店を必要とするカルフール、コストコやガーデンウォーク幕張あるいは千葉街道ロードサイドの大型商業施設にとって、人口1万人を超えたベイタウンは重要な商圏の一部であり、ベイタウンの住人の方も実際にそれらの店舗で多くの消費をしているはずである。一方、美浜プロムナードの店舗の商圏はベイタウンの境界を出ることはない。
 24時間営業が当たり前になったコンビニも、ベイタウンでは7時〜23時営業と80年代初頭のコンビニにタイムスリップしていることが示すように、多くの地域商業の商圏は周囲の限られた居住者である。
 かつて薬店や酒販店などは規制によって商圏を分け、価格競争さえしなければ、商圏は小さくてもその中の消費の多くを得ることができたのである。しかし、1982年の商業統計を境にして減少を続ける商店数をみれば、ワークシェアリングの時代はきても零細小売商業の復活は絶望的である。大量生産・大量流通が可能な価格差の大きい商品を中心とする地域消費の多くは、ベイタウンの外で費やされることは動かしがたい。
 すなわち、ベイタウンの住人が周囲の大型商業施設や都市で費やす消費の残りが、プロムナードの店舗の領域である。周辺の商業と同じ商品・高い価格でやっていたのでは、淘汰されつつある住宅地や駅前の商店街と同じ運命をたどることになる。たとえベイタウンの人口が増大してもチェーン展開する大手資本の店がやってきて、淘汰の運命は変わらないだろう。また、チェーンの複製店舗の大量侵入は遊歩の環境を阻害し、消費が地域に循環しない脅威ですらある。

幕張ベイタウン

幕張ベイタウンは、街路に面するマンションの1階が商業・業務の店舗として区画され、美浜プロムナードと富士見通りを中心に、商店が並ぶ商業街路が整備されている。ショップガイドにはすでに48の店舗が掲載され、現状で計画されている街区の商業・業務施設予定を含むと総数は100近くにのぼる。だだし、大規模な施設はなく、その7割程度が100u以下である。幕張ベイタウンにも当然スーパーマーケットはあるが、何といっても特徴は街路の両側に並ぶ多数の小規模店の集群であり、従来型の開発とはずいぶん様相が異なる。ベイタウンのプロムナードを歩いていると、大型の商業施設を中心としたニュータウンや街づくりの時代が終わりつつあることを感じる。

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