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■特集 幕張シャンゼリゼ■
賑わいから街歩きのプロムナードへ

欲望と消費の都市空間
――オタク、ルイ・ヴィトン、ガングロの真相(1)


2000年秋、幕張に日米欧の大型商業施設が次々とオープン、
「幕張現象」とも称されて話題を呼んだ。
「世紀末の消費に異変あり!」といわれてきた昨年来、
その背景には何が起きているのか?

■対談■鹿島茂 共立女子大学教授
    山田登世子 愛知淑徳大学教授



「招き猫パワー」が
人を集める


鹿島■幕張にできたカルフールは、駅から歩ける距離のようですね。フランスでは車でないととても行けないような、とんでもない場所にあって、飛行機の格納庫のように巨大で、しかもマルシェ(市場)のような機能を組み込んでいる。リンゴ1個から買えますよとはいうものの、基本は車で買いに行く量販型スーパーですからね。日本人に、欧米風の買い溜めの文化がどう馴染むのかな。

山田■アウトレットモールとかも、確かに人は集まって来てるし、人が集まることが猥雑さを生んで楽しいんだけれど、それと「お金を落とす」ということとはまた別なのよね。

鹿島■チープなものへと人は流れているから、バブルを引きずって多少高級なものを売ろうとしている所はダメですね。レストランにしても、計画的な商業施設のテナントじゃあ、よほどうまく考えないと、空港の食い物と同じで、高い、マズイになりがちでしょ。結局、近くの屋台のイカ焼き屋とか、田んぼの真ん中のラーメン屋とかに列をなしてる。

山田■やっぱり、人が行くところは楽しいし、おいしい。そういう臭いをかぎつけて、集まる所に人は集まるんですよ。
 今日はバレンタインデーだから、さっきデパートに寄って、買物客の行動を観察してたんだけれど、ある売り場で私がチョコレートを買ってると、それが呼び水になってわらわら人が群がってくる。私が立ち止まると、人も立ち止まる。なんだか愛らしいくらい従順なのね。

鹿島■それ「招き猫パワー」ってヤツ。(笑)ぼくと女房も招き猫パワーが強いらしくて、ガラガラの店に入ると、やがて人が群がってくる。やっぱり人って、めちゃ混みしている店には「出遅れたらいかん」って焦った気持ちなる。逆に誰も居ない店に入っちゃうと、「これはヤバイところに来た、早く出なければ」となる。どっちもスパイラル効果が働いて、集まる所にはますます集まるし、ダメな所はますますダメになる。



「オタク」には回遊性がない

山田■盛り場、路地のもつ猥雑性というのは、集客には大事ですね。

鹿島■水清ければ魚住まず、てね。

山田■そう。居着く気がしない。

鹿島■客寄せのイベントをやっても、結局「オタク」が来るようなものにしかならないでしょう。ところが始末が悪いことに、オタクというのは回遊性がないんですよ。関心が1点にしかないから、目的を果たしたらメシも食わずに帰ってきちゃう。つまりオタクは商売にならないんです。デパートで「万年筆市」とかやっても、万年筆オタクは、万年筆にしか関心がない。

山田■20世紀というのは、オタクというのが発生した時代で、見事に定着したわね。

鹿島■そう。まもなくプチ・ラルース辞典(日本の広辞苑にあたるフランスの辞典)にも出るでしょう。すでに「マンガ」「ドウガ」というのは出てるから、「オタク」が載るのも時間の問題です。

山田■オタクは消費者ではないですからね。セミプロ、専門家であり、どちらかというと生産者に近い。

鹿島■までの商業理論では、オタクは取り込めませんね。インターネットの市場で取り込めるかというと、そうでもない。彼らの興味は、じつに狭く、深い。マーケティングからいえば、オタクを取り込む別の理論が必要になっている。

山田■そうね。オタクを取り込む商品、市場、なにか開発できないのかしら。

鹿島■ふつう、集客力が多少なりあれば「層の拡大」を見い出しうるんだけど、オタクには「層の拡大」という現象が起きない。オタク自体が細分化していますからね。

山田■集まる盛り場も違う。

鹿島■まさに盛り場が「分化」しているわけです。

山田■だのに、実際の消費空間のほうは、なにか時代の忘れ形見というか、建物にしても、空間にしても、過去のものがそのまま残ってしまっている。モダニズムがもはや歴史的モニュメントになっちゃてますね。

鹿島■かといって、ポストモダンの手法を発案するのも難しい。

山田■設計された迷路とか猥雑性というのが、なかなか困難ですね。

鹿島■モダニズムは、基本的に直線と円だけれども、やっぱり曲線の演出というのは非常に難しい。

山田■どうしても箱ものの発想から抜けられない。消費者は明らかに新しいものを欲しがっているのに、行政のレベルがまずそこに追い着いていけてない。ワンセット、誰が来てもちゃんと消費の欲望に対応できるなんて時代ではないんですよ。「幕の内弁当」型の消費空間というのは、もうありえなくなっていますね。
 不況のなかで、スーパーもコンビニとの競合にもさらされて、最近では夜10時、12時とか、深夜営業も増えてますね。私なんかも重宝していて夜遅くによく行くんだけれど、ちゃんと背広を着た男性とかが、お惣菜を買って帰る姿をよく目にしますね。いまやスーパーにとってお惣菜売り場は、生き残りに不可欠な商品ですね。あとは100円ショップ。

鹿島■お惣菜と100円ショップは、ターゲットが違うんだな。

山田■100円ショップの方は、コンビニとの差別化ね。
 最近、地方都市なんかを見ていると、車を持っている人たちを対象にした郊外文化が、全国均一になってきてますね。

鹿島■戦後の駅前銀座の寂れが指摘されているけれど、駅前銀座も均質化の方向へ走った面が強い。
 このあたりが、パリなんかはうまくやったと思うんですね。都市がもともと持っていた習性みたいなものを、うまく吸収して発展している。19世紀のオスマンのパリ改造のときに、計画的に新たな区域ごとの住み分けがなされたんだけれど、昔からあったパリの垂直方向の階層性は残った。パリの建物というのは、1階は商業で、だいたい3階くらいに富裕層が住んで、屋根裏に貧乏人が住むという、縦構造だったんですね。この構造を全部消すわけにいかなかくて、その名残りが今日では「税制」として残っている。

山田■階層ごとに適用税率が違うのんですよね。

鹿島■まさにパリならではのユニークな税制です。御主人様の部屋だったところと、女中部屋だった屋根裏部屋では、税も違って当たり前であるというわけ。

山田■もともとあった階層構造を慣習として是認してきたからこそ、パリという街は大改造はしたものの空洞化せずに、歴史を超えて生きているものがあるわけですね。



「道の広さ」が
イマジネーションを左右する


 道の広さって、とっても人のイマジネーションに影響を及ぼすんですね。私が住んでいる名古屋は、ご存知のとおり、道幅がすごく広くてサイズはまさにシャンゼリゼと一緒なんだけれど、なんとも味気がないんですよ。車を運転する人には機能性抜群なんだけれど、交通事故率も日本一なのね。最近、少しは電飾なんかに工夫してだいぶシャンゼリゼ風にはなってきましたけれど。

鹿島■街の真ん中に甲州街道を作っちゃったようなもんですからね。

山田■フラヌリ(ボードレールの時代に生まれた「都市の遊歩」という行為)があれほど面白くないところもないんじゃないかしら。広いだけでなくて、どこまで行っても碁盤の目なのよね。

鹿島■道の狭さってことでいうと、最近、雑誌の連載の取材で行った東京世田谷の下北沢は、車がまともに通れる道路がまったくない。大人がドライブがてら行けるような街じゃないので、来ているのは若い子、中学生、高校生ばっかりで、店をやってるのも、ちょっと前まで客だったような若い世代なんですよ。
 古着屋、雑貨屋、がらくた骨董、安いユニクロ的なショップ、それから美容院がやたらに多い。住宅街の中に小さい店が散りばめられていて、バザール的な商店街を形成している。店1軒が3畳とか4畳半とか、街ごと駄菓子屋が集まった路地のようで、若い子にはたまらなく楽しいだろうと思うな。駅ビルにまとめて入ってるんじゃなくって、ごちゃごちゃっと街に散らばってるところが、若い子には魅力なんですよ。

山田■テレビで郷ひろみが、若い女の子と下北沢を探索する番組をやってたけれど、郷ひろみなんてもうオジサンだから、ぜんぜんついていけてなかった。(笑)

鹿島■20、30年前は下宿屋の街だったのが、多少スノッブな街になったと思ったら、原宿と一緒でもはや子供の街。僕らの世代がくつろげるような「高い店」がぜんぜんない。上限880円とか、そんな世界ですよ。

山田■バザール性を興すには、ある狭さ、片隅の心地よさが必要なのね。

鹿島■そういう意味で、香港はじつに楽しい。安物を交渉で安くして買える楽しさ、あれこそバザールの原点的な楽しさです。小学生の時に、100円玉つかんで遠足のおやつを買いに行った楽しみと一緒なんだな。

山田■消費の楽しさの原点って、それですよ。

鹿島■そう。作られた街のつまらなさって、この感じがないことです。もちろんパリのシャンゼリゼ大通りだって、最初は何もなかった。

山田■シャンゼリゼは、歩道の広さと凱旋門に救われてる。夕陽を眺めながら歩こうかなという気にはなるわよね。

鹿島■北京も大通りはめちゃめちゃ広いんだけど、さすが中国人、アメリカ大使館の緑豊かな敷地の脇なんかに、ものすごい露店のバザールが出来ちゃっている。一歩路地に入れば、偽ラコステとかで溢れ返ってるんだけど、めちゃめちゃ楽しい。
 この「偽物性」を排除しちゃうと、逆に街そのものが偽物になってしまう。キッチュなものを排除して、高級なもの、クリーンなものだけを作ろうとすると、誰も寄り付かなくなる。例えば世界の主要な都市で展開している、「DFS(デューティーフリーショップ)」、あれはどこもがらがらで、店の中はまるで廃虚のようになっちゃってますからね。

山田■大阪は面白いですね。道頓堀は猥雑さそのもの。

鹿島■北新地だって、ここが一等地の盛り場かい?ってくらい猥雑ですよね。

山田■だだっ広くない路地の魅力って、パリのパッサージュ(※)の昔から、なぜか魅力があるわね。「道幅」というこの非常に単純なインフラは、歴史的、普遍的に街を大きく規定するものだと思いますね。(※ガラス屋根に覆われたアーケードの街路。19世紀前半頃にパリの中心部にいくつも建造され、洒落た遊歩と消費の空間として人気を呼んだ)

鹿島■もちろん、ただ道幅を広くするだけじゃなくて、歩道が相応に広くなければダメです。車道を広くして歩道を狭くするのは最低。やっぱり歩道が広いというのが、快適さの基本でしょう。



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