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■幕張リフレーン(3) IT時代の幕張新都心■
いかに「情報拠点都市」となるか
  ――情報、カネ、モノ、人を
   グローバルにネットワークするための拠点構想こそ重要だ


服部純一■セイコーインスツルメンツ株式会社 代表取締役社長



IT戦略とは
グローバリゼーション戦略である


 ITがにわかに注目されているが、どうも議論の本質がずれているように思う。「日本はITで遅れている」というのは大間違いで、ITをいちばん最初に始めたのは、じつは日本だったはずなのだ。例えば、キャプテンシステムの実験、ニューメディアのさまざまな実験、またISDNや光ファイバーといった大容量通信網に取り組んだのも、日本が最初だった。しかし、アメリカでゴアが情報ハイウエイ構想を世界戦略として掲げ、猛烈な勢いで巻き返してきて、ここ4、5年で追い抜かれたというのが真相である。
 結局、日本は何に乗り遅れたかというと、グローバリゼーションの波に乗り遅れたのである。ITの普及のなかで、情報、カネ、モノ、人の資源が、ネットワークに繋がってグローバルに再編されている。このグローバリゼーションに乗り遅れたために、日本はITの技術や人材は持っていても、その使い道がわからないのである。IT戦略で、もう一度新規巻き直しを図り、リカバーしていこうというのならば、グローバリゼーションを進めないことには、まったく意味がない。

 例えば、幕張を情報集積都市として発展させていくためには、シンクタンクなどの情報集積拠点を物理的に立地させる必要は必ずしもなく、ネットワークで外部の機能といかに繋がり、幕張がいかに情報集積の「拠点都市」となっていけるかということを、まず何よりも先に考えることが肝心だろう。

 シリコンバレーをみても、80年代前半頃は、ヒューレットパッカード、フェアチャイルドなどのエレクトロニクス企業と、スタンフォード大学や研究機関があって、先端的な産学共同のインキュベーション都市としてスタートしたが、ここ最近のシリコンバレーは、そうした以前のインフラとは別のインフラで動いている。80年代の低迷を超えて、90年代に再び復活してきたなかで、シリコンバレーの集積は、その物理的なアクティビティではなく、世界各国のアクティビティとネットワーキングすることで進んだ。インドのバンガロール、イスラエルのテルアビブ、中国、東欧圏諸国…、こうした世界各地の拠点に分散する人材や資産や設備が、シリコンバレーを拠点とするネットワークに乗ってきている。これが現在のシリコンバレーの活力の源泉なのだ。
 「シリコンバレーのように」という時には、シリコンバレーという物理的な都市を真似て作ろうとしても意味がなく、グローバルのネットワークをどう作るか、いかに接続するかこそがポイントとなるのだ。さらには、接続したネットワークのなかで、いかにリーダーシップを取るかを考えなければならない。この発想が今の日本にはなかなかない。幕張も、グローバルなネットワークにいかに繋がるべきか、そのために一体何をするべきかという議論が必要だろう。



「情報共有」への価値観の転換を

 「情報をどう利用するか」については、60、70年代を通じて日本は大変うまくやってきた。カンバン方式や改善提案活動をはじめ工場内の情報共有については、世界のお手本になった。ではどうしてその先に行けなかったのか。なぜホワイトカラーの部門に良いアイデアを発揮できなかったのだろうか。
 その最大の要因は、日本では「情報を自分だけで持っていることが、自分の権力を維持する道具になる」という考え方が、いまだに根強いというところにあると思われる。

 しかし、このような図式はいまや逆転しており、「いかに情報を共有するか」「いかに情報を発信するか」で、人の価値が上がっていく時代なのである。以前の工業化社会では、インフォーマルな経営者のネットワークや、銀行などの金融機関が情報をいちばん持っていた。ところが、いまや情報はどんどん流通するようになっており、時間のある人間、暇な人間、遊んでいる人間ほど、情報をたくさん持っているという逆転の図式になっている。ここの発想の転換に遅れているところが、いまだに日本のIT化の大きな障害になっている。
 なぜアメリカで情報共有が急速に進んだかといえば、オープン化、ネットワーク化への国を挙げての努力もあったにせよ、やはりもともと社会の流動性が非常に高いということがある。「情報を自分で囲い込んだままにしておく」ことが、どのみち出来にくい社会なのだ。アメリカのレベルに追いつくには、この価値観を大きく変えなければならないだろう。



世界が忘れている分野で
トップを取っていく


 日本が世界の最先端だといわれて成功している分野をみると、ほとんど何のインフラもなかったような世界を、パイオニアとして切り開いたような例ばかりである。例えば漫画などは、産業としてはもちろん、文化としても認知されていなかった。しかしここで日本の若い人の才能が花開いて、いまや世界的に認知されている。同様にコンピュータゲームも、ソフトウエアの世界では最下等と見なされていたような分野だった。難しい計算をすることがソフトウエアのプレステージだという価値観の世界で、最初はゲームのソフトウエアなんて何事か、と相手にされていない分野だったが、いまや日本のゲームは世界一であり、世界中の人々に支持されている。
 こうした事実を振り返ってみれば、世界で忘れられているような分野で、日本がトップを取っていくということは、これからも十分あるだろう。そういうことをよく考え直してみることが、日本の将来を考えるうえで大変に重要だと思う。

 今の日本経済は、過去あまりに成功しすぎたがために、成功体験に埋没して進路を見失っているところが多々あるように思われる。
 日本の時計産業にしても、時計のクオーツ化によって一気に世界のトップになった。それはエレクトロニクスによって、また分業化の産業構造のなかで勝ち取られたわけだが、逆に、今もう一度メカ時計を復活しようと思っても、すでにそのテクノロジーが失われてしまっており一筋縄ではいかないという問題が起きている。スイスなどでは、そうしたテクノロジーを温存しているが、日本はあまりにクオーツで成功しすぎたがために、メカを置き去りにしてきた。これをもう一度取り戻すのは、大変な労苦である。

 しかし、この先マイクロマシンなど、細密加工技術をさまざまな分野で展開しようとした時に、じつはそうした技術があらためて重要になってくる。半導体などの専門家も、ももちろん重要ではあるわけだが、分業化、専業化、バーチャル化だけではどうしても不足する所があり、やはりもう一度「メカの技術屋」を復活させなければと考えている。
 ところが日本は技術者の水準アップということでは、はなはだ先行き思わしくない。日本の教育レベルは、じつはかなり下がっていて、数学などは世界でも下から数えたほうが早いという意見すらある。しかし一方では、戦後とは違って、切羽詰まって取り組んできたような時代ではなく、多少余裕をもって研究できる環境にはなってきている。視野の広がりを活かして、今後過去とは違う方向性が出てくるに違いないと期待している。



21世紀のハイテク都市は
「都市」である必要があるか


 そもそも時計産業の歴史を振り返ると、大々的な産業構造のなかで展開されたのではなく、むしろ小さい家内工業的な集落からスタートしている。時計が発明されてから今日まで、さまざまな国で時計産業が発展してきたが、いずれも小さい地域で発展しており、それは必ずしも都市ではなかった。
 当社も幕張に来るまでは、東京下町の亀戸という町に設立当初から立地し、そこで発展してきた。亀戸の跡地再開発にあたっては、当初は高層ビルのアイデアもあったものの、オフィスビルを建てても街作りには貢献できないだろうと考え直し、「サンストリート」という新しいタイプの商業タウン施設を作った。売り上げも集客も、初年度から当初予想を上回り、地域活性化という点から見て、とても成功した例の1つだと思っている。

 幕張新都心が出来た頃には、気分転換でふらりと海に行って泳げるといった、リゾート型のオフィスとかフレックス勤務体系といった考え方が、次のワークスタイルとして盛んに議論されていた。
 シリコンバレーにしても、元来は非常に田舎であり、今でもレストランに馬で乗りつけて、外に馬を繋いでおいたまま、なかなか洗練された食事を楽しめるなどというところが、何ともいえない魅力である。田園生活を楽しみながら、世界最先端のハイテク企業に就職できる。世界でもこんなことができるのは、シリコンバレーくらいである。本来のネットワーク時代はこれができるはずだし、21世紀のハイテク集積都市は、確かにそういう方向へ行くべきなのではないだろうか。
 理想を言えば、ふつうの家のような建物が散在していて、人はホームオフィスのような環境で働きながら、好きな時に好きな場所へ移動できるという自由さもあるというスタイルだろう。しかし実際に導入するには、会社の組織から、企業のあり方から、事業の仕組みから、すべてを変えなければできない。

 当社の幕張本社ビルも高層だが、本当はもっとオープン型の低層で、周りに水や緑があって、自然のなかにオフィスが融合しているというスタイルが、長い目でみれば理想である。しかし、これを実現するには、いったん会社を分解して、ゼロから組み直していくぐらいの取り組みをしないと、事業が崩壊してしまう。  人材の流動化を促すにしても、日本には終身雇用、年金などの大きな問題が横たわっており、少なくとも10年、20年がかりの変革として取り組んでいかなければならないテーマであろう。



はっとり・じゅんいち●1951年生まれ。セイコーグループのなかで、腕時計の開発・製造部門としてスタートしたセイコーインスツルメンツ(旧・株式会社第二精工舎)を率い、時計分野から、携帯情報端末、電子部品、マイクロ加工など、多角的な事業を展開。専務、副社長などを歴任の後、99年より現職。同社は93年より幕張新都心に本社を立地

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