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特集●海洋都市への提案
■座談会■
東京湾から見た幕張新都心(1)


池田武邦■ハウステンボス会長
三浦裕二■日本大学総合科学研究所教授
山本光正■国立歴史民俗博物館助教授



東京湾は、かつてヨーロッパ人をも驚かせる美しく澄んだ水をたたえた豊穣の海だった。
その時代、幕張(写真1)は東京湾を行き来する人々の港町として栄えた。
その海と富士山を眺望する見事な景観は、今も変わらない財産としてある。
「水の時代」といわれる21世紀。
いま東京湾から幕張の未来を、さらには日本と世界の未来を見つめ直す。



「蘇れ水の回廊」で
アイデンティティの再生を


山本■私は東京で生まれ育ったんですが、今は幕張のすぐ隣りの検見川浜に住んでいます。小さい頃に潮干狩りをした辺りに住むようになるとは思いませんでした。地元の住民として、また東京湾の交通を研究するものとして、幕張は横浜、神奈川への対抗意識から脱却し、もっと新しい方向性に価値を見い出して、アイデンティティを確立してほしいと思っています。
 そういう意味で、三浦先生の提唱されている「水の回廊構想」(写真2)は、千葉県や幕張にひとつの重要なテーゼを提案されていますね。

三浦■幕張になぜ「水の回廊」なのか、その歴史的な経緯を少しお話しします。亨保9(1724)年に、染谷源右衛門という土地の豪農が私財と幕府からの借金600万両で、印旛沼のくされ水をなんとか江戸に流したいという、止むに止まれぬ百姓が立ち上がったのが、そもそもの花見川開削の発端なんです。
 天明3年(1738)には浅間山の大噴火が起きて、一帯に大量の砂礫が降り、農業は大打撃、川底は浅くなって一挙に氾濫が増えてしまう。その年、治水対策として、印旛沼から江戸湾へ水を落とす事業が始まります。
 老中田沼意次が、印旛沼周辺の干拓を兼ね、幕府直営工事で運河を掘削するわけですが、3分の1ほど完成したところで、田沼が失脚して中断する。その後、天保水野忠邦の時代に、今度は五つの藩の御用普請ということで、金も人足も各藩から連れて来させて民間開発でやった。治水、水田開発と同時に、銚子から高瀬舟で内陸舟運をさせて、江戸前に船を下ろしたいという意向もあった。ここが開通すれば、まさに房総をぐるりと囲む「水の回廊」が完成するはずだったんですね。結局、わずか90日で3分の2以上作ってしまう。記録によれば、運河を利用して、芋や薪、米も運んだらしいんですが、残念ながら完成はしなかった。五藩もなんとか御用を逃れようと陰謀渦巻き、やがて工事は中断してしまう。大変美しい花見川という名前が付くのはこの頃です。
 明治に入ってからも、オランダのお雇い外国人を連れてきてみたり、大久保利通も見に来たりはしているんですが、どうしても進まない。どうも田沼意次と水野忠邦に、呪われているとしか思えない。(笑)満州事変、日露戦争などもあり、全部計画倒れになってしまいます。戦後食糧難の時代には、旧農林省により、印旛沼の干拓が進みます。工業化の時代に入ると、今度は京葉工業地帯のための工業用水の取得という目的で、沼の総合開発が進む。時代はモータリゼーションのただ中です。花見川に船を通そう、物を運ぼうなんていう考えは、一切どこかに消えてなくなりました。これが今日に至る花見川の歴史です。
 その花見川が、今日では河口部分は三面張りの護岸になって、この幕張新都心の喉元に流れてきているというわけです。

山本■コンクリート堤防は、河口に近い所だけでしたよね。

三浦■ええ。三面張りは埋め立てのちょっと上くらいまでで、残りは全部手つかずの川辺のまま、水野忠邦が掘った当時の状態で残っています。深いところでは、渓谷のようになっているところもあります。

山本■蛇もたくさんいますし。両側はずっとサイクリングロードです。

池田■これは貴重な財産ですね。三浦先生があらためて、「蘇れ水の回廊」をいわれてから、具体的に何か動きはあるんですか。

三浦■地元市民は大変に注目してくれています。中央官庁の方でも興味を示してくれる人はいるんですが、費用対効果の面で、実現はなかなか難しいです。

池田■この岸辺の風景は素晴らしいですね。こんな風景が残っているとはねえ。

三浦■ただし、水が汚いんです。

山本■洗剤の泡が飛んでますよね。

三浦■「花見川を美しくする会」という、地元の市民団体があるんですが、会長さんが古くからここに住んでいる方で、戦後まもなくは川で鰻の稚魚をつかまえて、お小遣いにしていたというんですね。
 夏場は臭くなるので、千葉県が水資源開発公団に依頼して、印旛沼の水をポンプ・アップして流すんですが、そうすると今度は、ヘドロを巻き上げて真っ黒な川になるんです。臭いはなくなるんだけれど、このヘドロがまたひどい。何とかして欲しいというのが、住民の思いですね。
 下水道が普及したおかげで、下水はパイプで河口の処理場まで来て、きれいに浄化されて海に排出されています。この浄化された処理水を、いったん花見川に戻して流せばいいと思うんです。川の蘆葦や水草が、残りの窒素やリンを取ってくれて、きれいな水になって流れてきますよ。

池田■船は通れないんですか。

三浦■潮止めの堰があるので船は通れないんですが、ロック(閘門)を設けて通せるようにしたいですね。

池田■それは是非やるべきですね。



開発でダメージを受けた
自然を回復する


三浦■池田先生のハウステンボス(写真3)なる発想は、自然回復型の開発の貴重な先例であるわけですが、もともと誰が声を上げて、やろうという力になったんですか。

池田■振り返ると長いんですよ。終戦間際に大村湾を訪れて、その美しさに心打たれたという想い出が布石になってるんですが、じつはそのことはずっと忘れていた。ところがある時、偶然に、のちのハウステンボスの社長になる神近くんという、当時まだ29歳だった地元の若手リーダーと出会う。それからさらに10年ほど経って、長崎オランダ村の話が出てきて、神近くんと2人で取り組むことになったんです。
 オランダ村は、最初から海は絶対汚しちゃいかん、水辺は絶対いじっちゃいかん、という考えで始めました。浄化槽も、20ppmに抑えられれば法的にはクリアするんですが、大村湾が2ppmなのに、20ppmの水は絶対に出せない。どうしても5ppmまで浄化して、バクテリア処理もして流すべきだと、僕は主張した。そうしたら浄化槽だけで倍の予算になっちゃったんですね。神近くんは、「とんでもない、そんなお金はかけられない」と反対したけれど、僕はそれなら止めようと言った。「あなたの故郷の海を汚してまでやるべきじゃない」と。そこで彼は一生懸命、経営計画を考え直し、2人で頭を突き合わせて予算を捻出したんですよ。
 結果的に、やってみたら1年目に来客数72万人、2年目には100万人を超えて、3年目には200万人になって渋滞を起こすようにまでなった。つまり、自然を一生懸命大切にするところ、美しい景観や自然があるところには、人が来るということが証明された。神近くんも、これで実感をもてたんですね。

三浦■ ハウステンボスも、その青年と先生と、2人で考えられたんですか。

池田■そうなんです。オランダ村の成功を見て、長崎県知事が、大村湾で盛大に埋め立てて大失敗した土地を、何とかしてくれと言ってきた。工業団地にしようとして、192億円使ってヘドロで埋め立てた土地なんですが、開発計画がめちゃくちゃで、工業用水の供給も十分に考えられておらずに失敗して放置されていた。
 土地を見に行ったら、ヘドロの臭いはひどいし、20数年も経っているのに、木が1本も生えていない。草も生えてないし、鳥も来ない、虫もいない。日照りが来ると乾燥がひどく、雨が降れば水溜りだらけ。
 僕は、これはいいと思った。日本中にこういう所がいっぱいあって困っている。その手本となるよう、徹底して自然回復させるプロジェクトをやってやろうじゃないかと思ったんです。コンクリート護岸も全部、自然護岸に戻し、運河を作って海から水を呼び戻し、水辺の生態系を回復させるようにし、40万本の木を植えて、さらにはヘドロの所の上部1メートルは全部土壌改良をした。当時は、バブルの絶頂でしたからね、2300億円もの資金を集めて、そのうち600億円を自然回復に当てたんです。神近くんはオランダ村で十分わかっていたから、僕のアイデアを100%請け負ってくれた。
 最も気をつけたことは、いくら環境整備をしても、毎日お客さんや従業員がどういう行動をするかで、環境はすぐに壊れてしまうんですよ。設計の段階から、従業員全員をスタッフにしたハウステンボス環境文化研究所というのを作り、僕が所長になって社員教育の陣頭に立ち、環境への作法みたいなものを教えているというか、共に学んでいます。さらに、敷地の前面に広がる海域の中の8カ所での定点観測も、着工前から10年間にわたってずっとやってきています。どういう影響があるのかを常に徹底してチェックしていないとダメですからね。
 最近になって、銀行からの600億円の債務のうち、202億の債務放棄をしてもらった。神近くんが社長を退き、銀行から社長を出させて、僕が会長になって責務を遂行しています。

三浦■600億が40万本の森になり、美しい水になり残っていると考えれば、他の不良債権と比べて小さいもの。問題ない数字ですよ。

池田■本来は、国とか県がやらなきゃいけない事業を、1民間企業がやってるんですからね。

三浦■開発は本来、海に入っていってはいかんのですよ。海に手を付けるのならば、神経質なくらいの配慮を重ねなければならない。埋め立てという行為はあまりしないほうがいいんですね。ハウステンボスでも、やはり陸地を掘り込んで、海を引き入れられた。ここがポイントだと思いますね。
 人間は水辺に出る、水に近づくことで、大変に心なごむんですね。ですから、住居のまわり、オフィスのまわりに、どんどん水を引き込んでくることが大切だと思います。掘り込み型の開発は、フランスのポール・グリモとか、北米なんかでは結構見られますが、日本で唯一成功している開発がハウステンボスですね。



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