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エコノミスト アジアへ行く
「知的・新アジア主義のすすめ」
エイジアン・インテレクチャル・リーダーシップ (1)


吉冨 勝■アジア開発銀行研究所長


アジアの危機は途上国型の「経常収支危機」ではなく、
大量な短期資本流入による「資本危機」だった。
アジアマネーに真に必要な処方箋を読み解く。



――吉冨さんのアジアとの出会いは1970年以前に遡るのですが、なにをテーマにされていたのでしょうか。

吉冨■そのころ私は国連で働いていました。台湾とインドの比較についての論文を、国連から出版することになっていたんです。当時の台湾の成長率は7〜8%、インドは1〜2%。ホワイ・グロースレーツ・ディファー(なぜ成長率がこうも違うのか?)。今で言いますと、NIESに相当する国、ASEANに相当する国。それから南アジアですね。これらの国の間にあるそのホワイを研究するために、高成長の国として台湾をとり上げ、低成長の国として、インドをとり上げたわけです。論文を書き終えたのが70年でしたが、71年にキッシンジャーの北京訪問が実現して、中国が正式に国連に復帰するわけです。と同時に「台湾」という言葉は、あらゆる国連の文章から抹殺することになります。なので、国連からは出版できなくなってしまいました。

 それから私はIMFに行きます。73年にケニアのナイロビでIMFと世銀の総会が行われたわけですが、このときに、北京が、非常に重要な電報をワシントンに送ってきました。ブレトンウッズ・インスティテューション、つまりIMF体制と世銀体制ですが、そこにはまだ台湾の蒋介石グループが座っている。世銀・IMFとて、国連憲章の下にある機関であるから、すべからく「台湾」の問題について考慮されたし、という抗議文が来たわけです。それで、急にIMFは中国の研究をしなくちゃいけなくなりまして、私はその中国研究のチームに入ったんです。

 その当時、IMFが興味があるのは、生産とか労働よりも、国際収支とか、金融とか、財政とか、マネーの政策。それ以外の情報というのはほとんどないんですね。だからCIAのドキュメントを随分使った。私は、恐らく初めてIMFで、数年後に実現する中国の加盟の基礎になる中国の分析の論文を書いた男だと思います。そういう経験があります。今から30年ほど前ですね。

――1950年代から60年代にかけてアジアではさまざまな開発の処方箋が描かれましたが。

吉冨■50年代というのは、まだ「停滞のアジア」ですね。それでも、曙光は見えていたときではありました。けれども、インドが第三の道で、発展の新しいあり方だと多くの人が思っていました。それが失敗していくのが60年代です。ところが、国連というのはインド人が多いところですね。だから、台湾のように労働集約的な食品産業とか繊維産業など軽工業から始めていくエクスポート・オリエンテーション(輸出志向)のポリシーのほうが、インドのようにいきなり鉄鋼など重化学工業から入るインポート・サブスティテューション(輸入代替)よりうまくいくんじゃないかとかいうディベートをするのは非常に難しいんです。

 そこで、私が主に主張したのは、ランドリフォーム(国土開発)の重要性、プライマリー・エデュケーション(初等教育)の重要性、それから海外から来る援助の重要性、そして発展戦略の重要性。発展戦略というのは、今申し上げたエクスポート・オリエンテーションかインポート・サブスティテューションかという、基本的な戦略の違いですね。それが、経済成長率の違いを説明する四大要素ではないかと言ったわけです。

――エクスポート・オリエンテーションを選択した国はテイクオフした。

吉冨■その四つをちゃんとやるとテイクオフするのです。テイクオフというのは、国民経済の中で設備投資比率が10%を超えるとか、そういうメルクマールがあります。韓国、台湾、それからシンガポール、香港も、ある程度それに入るわけですね。70年代の終わりから、NIESとかNICSとか言われてきた国ですね。そういう国々は、今、台湾に現れているような政策を、どちらかといえばとった国なんですね。一方、インド的なところ、インドや、スカルノ時代のインドネシア、パキスタン、これらの国々は冷戦の最先端には立っていないんです。それから、天然資源が豊富なんです。
そういうコントラストの中に、台湾に代表されるNIESがあって、インドに代表される低成長国があったわけです。その真ん中にあったのが、今言うASEANなんです。インドネシア、タイ、マレーシア、フィリピン、そういったところが入ってきます。これらは成長率がその真ん中だったわけです。4〜5%ということですね。

――それらの諸国が「アジアの奇跡」へとつながっていくわけですか。

吉冨■NIESの成長率が、既に60年代の後半から、はっきりと高成長に入っていく。それが基本的には80年代までずっと続くと考えてよろしいんでしょう。それに今度は、ASEANグループが、中程度の成長率だったのが、80年代の中ごろから高成長グループに入ってくるんですね。NIESにならう形になってくるわけです。そしてインドなどの非常に低成長だった国というのは、ようやく90年代の初めになって自由化が始まり、成長率は年率六%ぐらいになるわけです。

――このときは、中国はどのあたりにいるんですか。

吉冨■中国は79年から開放政策をとりますので、その後の20年間は、年率10%ぐらいで来てるわけですね。どちらかというとASEANのグループ的なところですけれども、発展段階はもっと低いですからね。だから、あえて言えば、日本が最初にあるんですけれども、その後にNIESが続いて、ASEANが続いて、すぐ中国が続いている、と見たらよろしいでしょうね。
 アジアの発展段階といっても、そういうふうにいろいろあります。



アジア金融危機は、通貨危機と
銀行危機の「双子の危機」だった



――それが97年のアジアの危機へと一転していくわけですが。

吉冨■アジアの危機というのは、経済危機って、あまり呼ばないんですね。正確に言うと、「通貨危機と銀行危機が重なった」ということです。外からお金借りている上に、銀行に体力がなくなる。それが重なると、危機の度合いが2×2になるという感じなんですね。それで、去年の98年に、国内需要が、一年間で25〜30%落ちるんです。今のASEANと中国のベクトルというのは、そういうことですね。
 今後、成長率そのものは、過去の2〜30年の平均よりは2%かそこら落ちた成長率になっていくんだろうと思いますね。それから、パラダイムが大きく転換していく可能性がありますね。

――具体的にどういう形の……。

吉冨■政府と金融機関との間の役割が大きく変わってくると思いますね。今までは、どちらかというと政府がいろいろ指令をして、銀行の信用を、戦略産業に仕向けるようなことをとった国が多いんですけれども、それは今後非常に少なくなってくると思いますね。それが、産業政策の変化ですね。

 もう一つは、こういう国々は、まだ、大きな企業組織が、現代株式会社にはなってないわけです。言うところの、ファミリー・ビジネスなんです。このファミリー・ビジネスの形態は、そう簡単に変わらないだろうと思います。ファミリー・ビジネスというのは、親戚一同からお金を集めてきて、ビジネスをしていたんですけれども、しかし、高成長をするときには、親戚一同からのお金では足りなくなってくる。そうすると、銀行や、株式市場からお金を調達する。ということで危機が起こるわけです。
 それと銀行が借り手であるファミリー・ビジネスの行動をちゃんとモニターしてないから、こういうことになってしまったという議論があるわけですね。そうすると、その課題が残ってきます。それは大きなパラダイムの変化ですね。銀行のモニタリング・ファンクションが強化されてくるんじゃないでしょうか。より近代的な銀行制度ができる可能性がありますね。

 それから、為替レートの仕組みは、これまでは大体固定制でしたけれども、ドルペッグが、より変動制的なものになってくる。パラダイムの中を構成している要素が大きく変わるという意味で、パラダイムのベクトルが変わってくるんだと思います。

――アジア危機のときに、IMFの介入のやり方についての批判がありましたが。

吉冨■我々の解釈は、こうなんです。危機の性質が違う。病気の性質が違うわけですから、処方箋も違わなければいけないというのが大前提です。じゃ危機の性質はどう違うのか、という話になるわけですね。
 昔、私がIMFにいたときは、途上国の病気には定番がありまして、国の経常収支危機です。わかりやすく貿易収支危機と言っているわけですけどね。輸入が輸出より多過ぎるということから来る経常収支の赤字危機です。この経常赤字がなぜ起こったのかというと、(1)財政赤字が大き過ぎたから、(2)インフレが高過ぎたから、(3)国内の貯蓄が低過ぎたから、というのが三大要因なんです。それが、大体これまでの途上国の病気だったわけです。

 ところが、今回の危機に襲われたアジア諸国は、今挙げた三つの点では優等生なんですね。なのに危機が起きたわけですから、伝統的な経常収支危機ではない。そうすると、国際収支であと残っているのは、資本収支しかないんですね。それで、資本収支危機。資本収支危機の中身は何なのかというと、大きく分けて二つあって、一つは、資本がどんどんと、あまりにも大量に外国から流れ込んできたということ。それが、製造業の過大な設備投資、あるいは不動産融資などにまわって、その後バブルの崩壊で、大きな利潤の低下を招いちゃったわけですね。それが一つの大きな流れです。
 もう一つは、その大量の資本流入の七割が、一年未満の短期資金ということです。これが銀行危機をつくったわけです。こっちのほうは、大きく言うと国際流動性危機であり、これが銀行危機をつくります。
 ということで、先ほどの通貨危機と銀行危機が二つあったと言った意味は、資本流入の大きな二つの特徴から来ている。その点が、危機の性質が違うということです。

 そういう危機の性質が違っているときに、IMFの経常収支危機への対応というのは、先ほど申し上げた三つの原因からすぐわかりますように、財政赤字を減らしなさい、インフレを退治しなさい、というわけです。だから、もし同じような処方箋を資本収支危機に使うと、関係のないところに薬をぶち込んでいるようなもので、下手にぶち込むと、かえって病人は悪化する。そういう基本的な考え方です。

 それはIMFが悪かったとか何とかより、そういうことを誰がやろうと、間違えるわけです。だから、まず病気の新しさをちゃんと確認すること。我々はそれを資本収支危機と呼んだわけです。次に、病気が新しければ、新しい処方箋が要るんじゃないのか。今までは経常収支危機が主な病気だったものですから、それしか処方箋を持ってなかったんですね。IMFを批判するのはやさしいですけれども、日本の論評というのは、失敗した人を責めるだけで、ほとんど意味ないんですね。だから、応用問題が全然解けない。そこだけ、一夜漬けみたいなものですから。我々は、この一夜漬けをやめようって言っているんです。IMF問題のとらえ方は、そういうことです。



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