CONTENTSへ幕張アーバニストTopへ幕張新都心Indexへ
前のページへ次のページへ



■特別レポート■
マクハリ・ダイガク構想
−−知のプラットホームをどう作るか(2)


大学は開かれつつあるか

 現在、さまざまな学習ニーズに応えるよう、とりわけ大学を中心に制度づくりや新しい試みがすすめられている。しかし、急速に起こっている学習ニーズの多様化と高度化に対応したものとはまだ十分になっていない。
 とりあえず、最近起こっている話題から見てみよう。

(i)大学の社会人特別選別、聴講生・研究生の受け入れなど、社会人の再学習機会を提供する動きがある。慶応大学や、一橋大学などのビジネススクールの開設は、大学の新しい事業機会の創設としても、また、「金融工学」などより実践的な技能に対応した社会人の実学カリキュラムの提供としても期待度は高い。

(ii)高度な実務修得が、大学や、企業内では不可能なことを背景に、民間で新しい技術、技能を提供する各種の専門学校も登場し始めている。例えば、マルチメディアのコンテンツ制作技術を専門に教育する「デジタルハリウッド」は、大学生や企業に就職した後辞めた若者達でにぎわっている。また、国際会計基準の適用を迫られている時代状況を反映して、アメリカの会計学を企業の実務者や税理士に教える夜学型の専門学校が昨年来ターミナル駅近くの雑居ビルに看板を掲げはじめた。

(iii)少子化による学生数の減少に対して、地域大学連合の動きも活性化している。京都などは人口の10%程度が学生だという条件を背景に、大学を地域活性化の核に据えたインターユニバーシティとして単位の相互互換をはかり、地域としての学生サービス向上を目指している。

(iv)千葉県においては全国に先がけて「千葉県私立大学間の単位互換に関する包括協定」(1997年10月)を結び、千葉県内の22の私立大学、15の私立短期大学が、4年制で30単位までを他校の受講で認定することとしており、さらに、1999年度からは放送大学(千葉市・幕張)とも単位互換包括協定を結び放送大学の単位が参加校では認められることとなった。

(v)大学生が学外のボランティア活動への参加や、職業理解を高める企業へのインターンシップに際して単位認定する試みが始まっている。

(vi)国立大学の独立行政法人化により「知のマーケット」の中で競争を強いられる社会環境が整い始めた。

 これらの一連の動きを見ると、従来、外部に対して閉鎖的であった大学が、ようやく環境変化や外圧によって、少しだけ門戸を開きつつあることが分かる。そしてこの動きは一挙に加速することが考えられる。
 数年前まででは考えられない最近の金融業界の動きなどを見るにつけ、実はとてつもない地殻変動が教育を巡っても起きつつあると考えた方が正しいのではないか。
大学批判は単に外部からだけではなく、内部からも起こっている。



【アンケートより】
●外部からはわかりにくい人事評価に限ってかいつまんで述べます。
 大学の教官の評価、昇進の仕組みを変えなければならない、というのがそのポイントです。国立大学の独立行政法人化反対論が大学人から唱えられていますが、その誤魔化しも同時にわかるでしょう。

 まず、大学は研究機関であり、大学の教員、教官はすべて研究者であり、研究者としての自主性が尊重されなければならない、という既得権益擁護のために大学人が作り出している幻想を打破する必要があるでしょう。研究は自主的でなければならず、専門的であると仮定すると1つの学部、1つの研究所には専門家は一人しかいないことになりますから、よくいわれるように「一国一城の主」になるわけです。一国一城の主だから昇進に際しての実質審査は行えず、形式審査で「年の功」で順に昇進させるわけです。そして、教授になれば、定年まで形式審査すら受けないことになります。

 「大学の教員が研究者である」という命題は正しくありません。大学教員の3分の2は3〜5年に一本も論文を書かない人です。論文を書かず、コンファレンス、シンポなどに招かれもせず、学会報告もしないということになれば、だれからも監視、批判を受けないわけです。これに関しては、特に有名大学に僥倖で席を得た無能な人が典型です。ただ、学会の運営で活躍して誤魔化すというケースもあるから素人が判断するのは難しい面があります。また、論文を書いたという人の大半は自分の大学の「紀要」という同人誌に、誰も読まない原稿を書いているわけです。
 こういう人々は研究より教育、学校運営に傾注した方がまだ役に立つ可能性が少しはあります。ただ、この種の人々に限って、大学をサービス機関とすることへの抵抗が強いのです。とくに社会人に機能を開くことを恐れます。20歳前後の子供たちには存在しない、大人の批判力を恐れるからです。

 研究者足りうる研究者は大学教員の5%ほどでしょう。したがって、よいカリキュラムを考案したとか、斬新な教育法を編み出したとか、社会のニーズを適切に掘り起こしたなどといった教育的努力を、研究と並んで同等の価値あるものとする評価基準が必要でしょう。独立行政法人化は大学人が振りまく、大学教官は研究者であるという幻想を、外部から打破した上で行われれば、大学が社会に開かれる契機になりうるとおもいます(国立大学教授・52歳)。

●理工学部では「バイオ」「生体」「生命」などの言葉は禁句です。バイオが注目を集めれば集めるほど、学部内の各学科の実力教授たちがお互いに牽制しあいどの学科も、また研究室でもそのような研究や講座の開設が遠慮されている状況です。学内の政治や面子によって、新しい領域の学問に挑戦できないなど、もはや「笑い話」にもなりません(私立大学教授・40歳)。



情報・通信教育の現状と課題

 教育環境の変化の中でとりわけ顕著なのが、情報通信技術を利用した遠隔地学習の動きだ。これは、既存の大学のみならず、プロバイダーや出版社、放送局なども参入し新しい市場としての試みが始まっている。

(i)米国の主な大学では、インターネットや衛星通信ネットによるさまざまな「エクステンションスクール」やさらに大学院教育科目の履修が可能となっている。
(参考)
サンフランシスコ州立大学バーチャル・キャンパス
 http://www.sfsuonline.org/D1index.real?area=95
ハーバード・エクステンション・スクール
 http://www.extension.harvard.edu/

(ii)大学審議会の答申により、通信制の大学院修士課程履修が平成10年3月より始まった。

(iii)早稲田大学など私学が連合し、「教育情報衛星通信ネットワーク」を活用して、各大学共通で国家資格である「税理士」「社会保険労務士」などの実用的な授業を共同で開催する動きが本格化している。これは、最近の学生の「ダブルスクール」(大学に通いながら、それ以外の英会話など専門学校に通うこと)といったニーズへの、大学の側からの取り込みとメディア教育への取り組みとしての動きだ。

(iv)リクルート社がインターネットを利用した社会人教育事業にのり出した。
 しかし、以下のアンケート結果を見る限り一般の通信メディア教育に対する目はさほど好意的ではない。



【アンケートより】
●メディア学習では経験を積むことは不可能。修得できる技能も限られている。従って、知識・技能・経験のバランスが悪い教育システムとして機能することが充分に考えられる。特に、メディア型のツールは知識の伝達に優れたツールなので、ここの比重が大きくなる可能性が非常に高い。教育対象となる世代にもよるが、マスメディアの報道を鵜呑みにして付和雷同する傾向が強い世代に対してこういったツールを導入するのには慎重をきする(鉄鋼・45歳)。

●一人で学習していくことが主となるので、学習の持続という点で困難が生じることが多いと思う(教諭・35歳)。

●一人で学習を進めていくので、孤立する。思いこみの学習にならないようにするためにも、何度か確認の場、お互いの交流の場が必要(主婦・45歳)。

●「覚える」、「理解する」という一方通行になるでしょう。問題、課題、関心、興味を「発見する」、発見してその課題を「考えてみる」、結論を「推論する」、それを人に伝え「説得する」、相手の反応を得て「対話する」ということが何らかの形で補われる必要があると思われます(大学教授・52歳)。

●基本的には、ユーザーインターフェースの問題と、フェイス・ツー・フェイスの親近感のある仲間が出来るか否かが問題。そう言ったコミュニティが必要だと思います(弁護士・36歳)。

●授業を受けなければいけない強制力に乏しい。一緒に授業を受けている仲間との切磋琢磨的な要素や意見交換が充分にできない(電気・43歳)。

●メリットは、空間的、時間的、能力的な制限がなくマイペースにて自己向上が図れる。デメリットは、メリットで述べたことの裏返しであり、空間・時間を共有することによる自己啓発の連続性の維持、会話等によるリラクゼーション、仲間からの援助等が図れる。オフラインの重要性は今後増々増してくる。これをどのように取り入れていくかが課題である(財団・48歳)。

●時間をどの様に克服するかだと思います。自己管理術にも関わってきますが、TVであればビデオが利用出来ます。でも、それを自覚して参加する時間を創らなくては、ビデオの山になるだけ。インターネットを利用しての勉強はある意味で可能でしょうが、それと並行してやはり集合教室である程度の授業は必要だと考えます。同じ悩みや質問、自分では気がつかない問題などを気づかせてくれるのは、同じ志をもった仲間とのコミュニケーションだからです(金融・43歳)。

●テレビ、ラジオ授業は何か疲れます。よっぽどコンテンツに魅力(講師の話術、テーマその他)がないとすぐ飽きてしまいます。ラジオの英会話教室で毎年挫折していたので、やはり、魅力的なコンテンツの確保ではないかと思います。(公務員・33歳)。

●マルチメディアといいつつ、現状は極めて貧弱な個別メディアの寄せ集めである。ディスプレイでテキストを読むのは、極めて不自然。ヒューマンインターフェースが良くない。動画と言っても、講師が話すのを延々映してもしょうがない。ボード使うぐらいしかビジュアライズへの考慮がない。音は話し声ぐらいで、臨場感のあるバーチャルメディアとはなりえていない。全般的にコンテンツはハードの制約にとらわれつつ、逆にその可能性に即した新しい表現を実現できていない。コンテンツの制作が、「教育者」が乏しい情報技術で作るか、「情報技術者」が乏しい専門知識のもとに作るかでしかなく、両者のコラボレーションが必要である。インタラクティブが活かされていない知識の確認のための小テストぐらいしか、受講者が発信することは基本的にできない。受講中のちょっとした疑問、講義の中の単語ベースの関心・興味を受けとめるシステムができていない。結局極めて「受け身」の退屈な時間しかそこでは得られない。ネットワーク構造ができていない。放送大学はやむを得ないが、プログラム自習型のものも、インターネット上のシステムも、ホスト/端末の関係を前提に行われている(一方向・集権型)。現実の「学校」は、必ずしも教師集権ではなく、生徒同士の協力・共同研究・相互教授があり、教師も、生徒の反応に応じて教え方を変え、生徒同士は無駄話をするものである。ネットワーク構造をもとに考えれば、教育・学習システムは、もっと無駄な部分も含み、それぞれのPCが、知識や技術の受講者であり、発信者である構造が作れるはずである。そこでは、共同研究や、知識のコラボレーションシステムも作れるはずではないだろうか(企画・42歳)。


 これらの意見は、現在少なくともインターネットを自在に使っているヘビーユーザーの意見であるだけに耳を傾ける価値があるだろう。そして、社会人が使える情報通信教育を考える上で避けて通れない指摘だ。



前のページへ次のページへ
CONTENTSへ幕張アーバニストTopへ幕張新都心Indexへ