CONTENTSへ幕張アーバニストTopへ幕張新都心Indexへ
前のページへ


バーチャル・ユニバーシティとフィジカル・キャンパス
――いかにして大学を再生するか (2)


大学の「過疎化」が加速化する

 アメリカでは、近年、インターネットを使った「ディスタンス・エデュケーション」(遠隔教育)が非常に盛んで、多くの既存の大学がそのようなセクションを設けている。この動きは、早晩、日本にも上陸するにちがいなく、フィジカルな意味での大学は、ますます意味がなくなるかもしれない。パフォーマンス的、ライブ的な要素を導入するのでなければ、教室での講義の未来は、絶望的である。実際、義務教育での積め込み教育はもとより、本を読めば書いてあるようなことを退屈にしゃべるだけの講義だったら、ネットサーフィンによる自己学習の方がましかもしれない。だから、この種の退屈な講義は、今後、大部分、「ディスタンス・エデュケーション」にとってかわられるかもしれない。そうでなくても、この種の講義は、学生の私語や間断なき出入りで、試験や出席チェックの脅しなしには、存続が難しくなっているのである。

 しかし、アメリカの「ディスタンス・エデュケーション」の現状をながめるかぎりでは、まだ、そのポテンシャルを活かしていないという気がする。「ディスタンス・エデュケーション」に拮抗した形でフィジカル・キャンパスの変革を大胆には行なっていないからである。
 このままでは、今後、大学は、ライブ性を重視した「フィジカル・エデュケーション」とネット経由の「ディスタンス・エデュケーション」に二極分離するだろう。その結果、「過疎化」するキャンパスも増えるにちがいない。ライブ性やフィジカル性を創造的に維持し、かつ、電子メディアの特性であるヴァーチャリティや距離[ディスタンス]を取る特性との関係を把握しなおすことができなければ、学生はキャンパスにやってくる意味がないからである。その先駆的事例は、普段は閑散としていて、期末になると急に活気づくいまの大学キャンパスですでに現れている。



ワン・トゥー・ワンの多層な関係へ

 大学の授業に対する学生の希望をきいてみると、スキルを身につけることができる授業・ゼミへの希望が非常に高い。わたしは、以前から、主として電子メディアを使ったある種の「スキル教育」を新入生に対して行なってきた。近年は、希望の高さからホームページ製作のスキルを教えている。その場合、専門学校のようなスキルを教えることが目的ではなく、手先――露出した脳――の仕事(ハンドワーク)を通して、いわば脳のマッサージをし、仲間との拘束力のない自由な関係を作るのを助けることが目的なので、ホームページを作る場合でも、HTML言語のタグをエディターで書くということからやる。いま、ホームページを作るには、便利なツールがいくらもあり、それらに習熟すれば、自分でタグを書くよりもよほどクールなデザインのホームページが出来るであろうことは十分わかっているのだが、あえてそうはしないのである。

 昨年まで、この種の作業は、壁側にコンピュータがならび、まんなかに大きなテーブルのある教室を使っていたのだが、今年、教室の整備があって、この教室がなくなり、語学ラボのように、パソコンのある机が何列も教壇に向かって並んでいるだけの教室を使うしかなくなった。コンピュータに向かったあとのサロン的なおしゃべりを重視していたわたしは、ひどくがっかりしたのだが、スペースの代案はなかった。
 ただ、そのコンピュータ教室は、テーブルが二人掛けで、そこにそれぞれのコンピュータが設置されており、学生はいやでも隣の人間と話すことになるので、個人が孤立してしまうようなことはなかった。これは、ある意味では面白いという予感がした。というのは、いま、社会関係は、確実に、「カップル」とは違った意味での「ワン・トゥー・ワン」の関係になりはじめているからである。

 見ていると、学生は、こちらが指示したわけではないのに、おおむね、親しい関係にある2人ないしは3人で席を取るのだった。後ろの方にぽつねんと座っている者もいる。しかし、第1回目に、自由にネットサーフィンをやらせると、一人組の方が熱中する。2、3人の組は、仲間同士でももりあがっている。そのため、教壇で指示をしても聞いていなかったりするので、通路を歩いて、個々に指示を出さなければならない。
 しかし、2度目のときに教室に来て驚いたのは、普段は遅れてやってくるのをためらわない学生が、授業開始時にはちゃんと席について、ブラウザを立ち上げているのである。こうなれば、こちらも、やりがいがあるから、頻繁に席に出向いて個人指導をくり返すことになった。3回目には、電子メールの使い方を教え、まずは隣の級友に、次には、その教室にいる仲間に無差別にメールを出すことを指示した。アドレスがわからなければ、席を立って直接聞きなさいと指示し、とにかく「ディスタンス・テクノロジー」を至近距離でフィジカルに使わせるわけである。

 こんなことを数カ月くり返しているうちに、大きなテーブルを囲んで話をするよりももっと自由で、一体化しない――基本的には「ワン・トゥー・ワン」の多層な関係が出来ていくように思えた。一方では個人の孤立化をエスカレートさせるコンピュータも、使い方では逆の機能を発揮するわけだが、そういうことを可能にするには、一定数が集まれるフィジカルなスペースが必要なのである。


こがわ・てつお●評論家、東京経済大学教授、東京ゲーテ記念館館長
1941年生まれ。都市論、情報論、身体論、コミュニケーション論、社会思想、比較文化などの分野で活躍。著書に『メディアの牢獄』『情報資本主義批判』『これが「自由ラジオ」だ』『ニューヨーク情報環境論』『都市の記憶』『カフカと情報化社会』ほか多数

前のページへ
CONTENTSへ幕張アーバニストTopへ幕張新都心Indexへ