■座談会■
“新・学問のすすめ”――ダイガクが創る都市(2)
「生きる力」より「生きぬく力」を
坂元■知識の量をたくさん持っているということが、教育においても大事な時代というのが、有史以来ずっと続いていたのが、もはやデータベースを引けば必要な知識は取り出せる。そうすると人間に必要な資質は、知識の量ではなくて、新しい時代に対応して、自分で新しい知識をつくっていける能力ということになるわけです。
日本もここ数年、アメリカの真似ばかりではなくて、新しいアイデアや技術、新しいビジネスもつくり出していかなければならないという風潮が強くなり、経団連や日経連が教育にかなり口出しするようになってきています。問題解決とか問題発見のできる人、創造力のある人、グローバライゼーション能力や、リーダーシップを持つ人を育てなければ、ということを言い出した。国のほうでも、高等教育だけでなくて、初等中等教育からそういう人間づくりに取り組む必要があるということになってきた。中教審では「生きる力」という言葉を使っています。
私は「生きぬく力」のほうがいいと盛んに主張したんですが、過半数にならなくて、「生きる力」になってしまった。
石井■私も、「生きる力」より「生きぬく力」のほうが良いと思いますね。「生きる力」というのは非常にスタティックですね。「生きぬく」ということが大事だと思う。
坂元■小中学校では、不登校、学級崩壊などが大きな社会問題になっている。これに対して、とにかく知識詰め込み教育はやめて、基本知識というのは最低限にとどめて、その代わり、できるだけ国際的なもの、情報教育的なもの、あるいは社会福祉、科学技術の最先端のものなどを、自分で学びながらつくり出していく能力を身につけさせよう、それが「生きる力」なんだというわけです。構成要素は2つあって、1つは、新しい問題を見つけるとか、発見するとか、情報処理するという知的な構成力。もう1つは、心ですね。健康とか、情操だとか、感性だとか、あるいは協調性。常に歴史的に理想とされる人間像が、あらためて強調され、21世紀の人間の理想像として掲げられている。
吉川■問題発言かもしれませんが、私は「ゆとり学習」なんてやめろと言いたい。「ゆとり」なんていうのは大人のおごりじゃないかと思うんですね。学級崩壊とか、落ちこぼれに対して、「ボーダーラインを下げてやれば救えるだろう」という発想でしょう。「やさしくしてあげるからついてきなさい」というのは、まさに専門領域に鎮座するムラ人たちの、まことにおこがましい発想であり、それが蔓延しているわけです。そんなことは言語道断である。とんでもないことです。
結果的には、落ちこぼれを逆にもっと特別な集団に追い込んでいくという状況をつくっていると思います。はっきり言って、サボったり、ボイコットしたりする子供がいるという状況は、明快な異議申し立てである、そこを理解することからすべて始まるんです。
石井■昔は、優等生とか級長になれるのは、クラスで3人ぐらい。あとの47人はというと、別に落ちこぼれじゃなくって、ただのその他大勢だった。優等生には「あいつ、偉いやつだな」と思ったけど、自分は落ちこぼれだと思わなかったですよ。
小学校の友達で、とにかく相撲をとらせたらやけに強いんだけれど、頭がめちゃめちゃ悪いというやつがいた。そいつは全然落ちこぼれてないんですよ。文句あったら相撲とろうと、彼は開き直るわけですね。それで、いまどうしてるかというと、結構ちゃんとした中小企業の役員になっている。
吉川■90%は落ちこぼれでいいんです。マジョリティーだから、別に怖くない。いつもハードルが見えていて、でもなかなか越えられない。ハードルの種類はいろいろ用意してあって、自分なりに越えられるハードルが一つでもあればいい。これこそ教育学習の基本だと思うんです。
坂元■共通の基本カリキュラムはぐっと絞り込んで、21世紀の読み書きそろばんとして3科目ぐらいにしちゃったらいいと思っています。
第1は、表現コミュニケーション。ものを表現したり、理解するための基本技能です。いまの科目で言うと、国語、音楽、芸術、体育の舞踊みたいなものや家庭科、さらにはコンピュータも入れる。日本語、国語は基本だけれど、そのほかにも映像の言語、ジェスチャーの言語、視覚的なデザインの言語など、いっぱいある。それを1つの科目にしてしまう。
第2は、数学、物理を一緒にした数理論理。第3には、環境。自然環境、人間環境、社会環境などです。
これぐらいの3教科にすると、小学校から大学、さらには生涯教育まで続けていけるようなものになる。題材として、具体的な人間の生活を取り上げていく。これを徹底しないと、いまの細切れ学問の教育から救われないです。
知識の南北問題を解消するために
吉川■いまある知識の構造は、とにもかくにも細分化と効率化でつくられているわけです。その結果、知識の生産速度と拡散速度の格差が広がっている。つまり知識の偏在が起こってくる。これは現代情報社会の非常に大きな特徴といえます。
我々はもっとこの問題を直視しなければならない。先進工業国で生産された知識は、最貧国、途上国になかなか広がっていかないわけです。この格差の解消に何が必要かというと、やはりメディアだと思います。インフォメーション・テクノロジーの急速な拡大進歩の背景には、やはり「知識の拡散を促すため」という倫理的な発想があります。これは非常に大きな国際的テーゼで、ブタペストで6月末に行なわれた世界科学会議でも提唱されています。
しかしいくら情報技術を広げても、もう一つ問題点がある。「知の構造」そのものが拡散させにくいベクトルをもっている。これを変えなきゃいけない。そして伝統的に「知の構造」のなかで勉強を積んだ人がいる社会でなければ、知を受け取りにくいことになっている。情報技術を使って情報をどんどん流しても、いかにODAを使ってインターネットを安く普及させたとしても、結局、先進工業国の中だけでとどまってしまって、知識を受け取れないわけです。
坂元■例えば経済的にみると、世界の個人所得の上位20%と下位20%を比較すると、上位の人が、30年ほど前は30倍程度だったのが、今は80数倍と、グーンと収入の格差が開いている。世界の最高の稼ぎ手の250人ぐらいの収入の総合計が、全人口の下から47%に匹敵するという状況が生まれてきているわけです。
そしてトップにいる人をみると、ビル・ゲイツをはじめ、知識をつくり出し、情報を動かす仕事をしている人たちがかなり浮上している。要するに、インフォメーション・リッチな人がリッチになってくる。逆に、情報力を持っていない人はプアになるという現象がますます起きるのではないか。
知識の格差によって、新しい南北対立が起こる。情報リッチのグループが、情報プアな人たちから見るとしゃくにさわる存在になってくる。そうすると、平和なときはいいが、万が一均衡を失うと、破壊活動が起こる可能性があるわけです。情報リッチが恩恵を受けている最先端の情報機器・施設を攻撃する。そういう形の暴動が起こる可能性が出てきます。
大事なのは、情報リッチをますます情報リッチにしていくと同時に、情報プアの人間をなくしていかなければならない。だからこそ知識というものを大事にして、知識をつくり出す人間が必要になってくる。そのいっぽうで、豊かな心の教養をもって、知識をバランスよくコントロールできる人間も必要になる。双方の能力が相まって高められるような教育がめざされるべき時代が来ているんじゃないかと感じています。
教育・研究・大学に経営が欠けている
吉川■アメリカでは昨年、「バネバー・ブッシュの時代は終わった」というタイトルの本が出て、無限のフロンティア開発の時代はもう役割を終えたんだ、新しい科学技術政策への転換が始まったんだと宣言されています。
彼らがいま掲げる、学問や教育の新しい目標をひとことで言えば、「人類が世代を通じて蓄えてきた知識を次世代に伝えることによって、人類という種が生き延びていくこと」であると。国民のお金を使う基礎研究は、あくまでも社会に必要とされていることを対象とすべきだと。もちろん、核物理学者や素粒子理論の基礎科学者たちは大騒ぎして反論しているわけですが、しかしやはり20世紀科学に、いま大きな軌道修正が必要なんですね。
基礎研究が「知識を生産する場」として組織し直され、学者だけでなくプライベート・カンパニーがどんどん参加して、「リサーチ・エンタープライズ」として社会に提案を行なっていくといったやり方が本流になりつつある。社会と科学が現実的な関係を形成するなかで、エンタープライズの大きなパワーに拮抗して、若いベンチャー企業も続々と生まれてくるような施策を、政府が積極的に打ち出していこうとしている。
いっぽう20世紀終わりの日本では学級崩壊が起こっている。しかし、これもまた若者のエネルギーの現われだと思うんです。このエネルギーを、例えばビル・ゲイツを生み出すような方向にもっていかなければならない。そういうエネルギーに対して、どこまで我々が政策立案に責任を持てるかという状況になってきた。教育問題に、非常に大きな哲学の変換というのが要請されているわけです。もちろんアメリカと日本は違うんだから、一概に真似はできませんが。
石井■私なんかの世代ですと、産学共同というのはマイナスの意味合いがあって、私もかつて昭和20年代に「産学共同反対」なんて、シュプレヒコールをやったことがあるんですね(笑)。しかしこのごろでは、「インターンシップ」なんていう制度がどんどん大学の中に入ってきている。こうした状況をもっと前向きに進めていって次世代の教育につなげていくことが大事だと思いますね。
吉川■いま日本は、とにかく政策経営がものすごく遅れているんですね。企業経営はともかくとして、博物館の経営、美術館の経営…。
石井■そして大学の経営もですね。
吉川■教育機関の経営、NPOの経営も、本当にメソドロジーも研究施設もない。とりあえず外国人の専門家を呼んででも始めるべきでしょう。
日本というのは、マネージメントというと、何か忌み嫌うところがあって、要するに担当者がしっかりやればいいと。何かが起こったときに、それはだれの責任で、だれがやるべきことか、見えないような構造をつくっている。一種の共同体とみれば良い面もあるんですが、これがいま各所で問題を噴出させています。東海村で事故が起こった。あれもマネージメント不在の端的な例です。
マネージメントがないから、日本で国立大学がよくならないのは当たり前なんです。しかも、学長がマネージしようとすると反発される。どうしてですかね(笑)。
石井■同感ですね。
それと、女子学生の数が増えることに危機感を感じる先生が、いまだに居るのは驚きです。人口の半分以上は女性なんですから、女性に高い付加価値をつけて世に送り出すというのが、教育に課された大きな使命だと思うんですよ。
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