昭和三十年代の中頃、高度成長に突入し、新しい都市像が追求される時代に、東京大学工学部に都市工学科が新設された。私も学科構成員の一人として関与した。
都市工学科の設立趣旨は、「新しい時代が求める都市像をしっかり捉え、それを的確に実現していく」ための視点、論理を追求し、そうした素養を持つ人材を世に送り出すことであったと思う。
私はそれに対し、「新しい都市像を構想し構築する力」を身につけるなかで、「都市が近未来に抱えるであろう課題を的確に抽出する力」を重視したいと考えた。高度成長の勢いに乗る日本が、都市開発の真っ只中に身を投じていこうとするなかで、都市工学科の輩出する人材が官僚として、また都市計画家としてそれらを主導していく立場となったとき、「危機の予兆をいち早く察知する能力」を身につけることが、とりわけ重要だと思われたのだ。
私が都市工学科でやりたかったことの一つは、「歴史から何を学ぶか」ということであった。しかし残念なことに、当時の日本は、歴史としての都市から学ぶことに極めて不熱心で、一方的に古いものを取り壊してきた。私としては、都市として満たすべき諸要件を、長い年月をかけて整えてきた優れた街をぶち壊し、すべてにわたって未完で欠陥のあるものを打ち建ててきたのが、日本の現代の都市開発の歴史であったと思っている。
改めて申すまでもなく、都市にとって経済は不可欠な要件であり、基盤的な要素だ。それが成り立たなくなったら都市は衰退し、人々の生活が破綻するから、人々は経済に血道を上げることになる。しかし、経済を無原則的に絶対視すると、経済が都市を滅ぼす。経済が暴走すれば、バブルが露呈したように都市の本質であるところの「市民の生活」が破綻し、都市は急速に自己矛盾に陥り壊れていく。それがこの三十年来の、日本の都市開発の結果といえるだろう。