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アジア食い倒れ文化論
舌から考えるアジア、日本、ヨーロッパ


森枝卓士

ヨーロッパから眺め直そう

 ヨーロッパの対立概念はアジア、ではなく、中国やインドなのではあるまいか。ヨーロッパを旅しながら、そんなことを考えたことがある。
 ヨーロッパを旅していたのは、アジアと長く関わってきて、かっての宗主国を知らないと分からないことも多々ある、と思われたからだった。
 インドシナ三国といわれるベトナム、カンボジア、ラオスで共通であることよりも、異質であると感じることが多い。市場で売っているバゲット(フランスパン)が同じであることに、旧宗主国と共通するものを感じたりするのである。その隣国では、市場にはパンはなかったり、食パン(イギリスパン)になったりするからだ。
 もちろん、そういった卑近な例だけでなく、素直に影響を受けるにしろ、他山の石とするにしろ、植民地になったことがない日本では、西洋をまとまりとして漠然と見てしまう。陸軍はドイツ、海軍はイギリスと明治時代から意識して選択して受け入れているし、現在でもファッションはイタリア、車はドイツ、といった価値観があるように思われる。対して、旧植民地ではフランスやイギリスという宗主国がすべての「お手本」のように思われるのだ。
 シンガポールではリー・クアンユー前首相をはじめとするリーダーたちはほぼケンブリッジかオックスフォードの出身だし、ポル・ポトもホーチミンもフランスの植民地支配に反発しながら、その学生運動や社会主義運動の中で、それぞれの「思想」を作り上げている。ヨーロッパをちゃんと歩いた上でないと、アジアも語れないのでは、と思われたのだ。
 加えて、多民族のアジアで民族問題にいつも頭を悩ませていたので、欧州連合という形にまとまりつつある西欧と、ソ連の崩壊以降、国家ではなく、民族がキーワードとなっている東欧のコントラストから、バスクや北アイルランドなど少数民族の地を歩きつつ、改めて民族とは国家とはと考えてみたいと思ったのだ。
 というわけで、ヨーロッパを旅して回ったわけだが、さんざんアジアを歩いた身には、ヨーロッパの中で人々が強調する民族の違い、国家の違いなど、言葉は悪いが可愛らしいもののように思われた。
「こんなに違うのだ」と彼等が強調する食文化の違いが、関西と関東のウドン、ソバのだしの違い程度にしか、思われないのである。もちろん、関東のウドンの不味さは、関西出身者には大問題に違いないだろうが、部外者から見たら、同様の麺があること、鰹節などのだしに醤油味といった基本では同じというようなことである。
 旅を繰り返して、最終的に思ったのが、ヨーロッパという集合を、アジアに対する対立概念として見るのが間違いなのではあるまいか、ということだった。
 ヨーロッパは新教、旧教の違いはあっても、ほぼキリスト教の地である。ギリシャやローマの古代文明をベースに、共有しているものが非常に多い。文字だって、ほとんどアルファベットであるし、民族的に見ても、同じインド・ヨーロッパ語族といわれる仲間内ばかり。例外はバスクやハンガリーなど少数。
「同じヨーロッパ人」という感覚も当然のように存在しているように思われる。



そもそも東南アジアってなんだ!?

 ところで、アジアの国々は、何を、どれだけ共有しているか。
 宗教といえば仏教、イスラムからヒンドゥーもあれば、キリスト教もある。文明のバックグラウンドとして共有しているものがあるかというと、中国文明の影響を受けているところもあれば、インド文明圏もある。民族的にもヨーロッパのそれとは比較にならない。多種歳々なのである。
 日本人とインド人がお互いに「同じアジア人ではないか」という意識を持ち得るだろうか。おそらく、お互いに否、だろう。
 あるいは、もう少し狭く見て、東南アジアの中でも、フィリピン人とインドネシア人が、「同じ東南アジア人」と意識しているかというと疑わしい。最近でこそ、同じアセアン(東南アジア諸国連合)のメンバー国という意識は(一部のインテリの間だったら)持てるかもしれないが、そもそも東南アジアなどという概念だって、存在していなかったのだ。
 東南アジア(SOUTHEAST ASIA)という言葉は、第二次世界大戦中に連合国側が作戦の都合上名付けたものであり、それが使われ続けているのにすぎない。自立的なグループとして、もともとあったものではない、ということが、この一事で分かるはずだ。
 そもそも、どこから見て、東南なのか。蛇足をいえば、東南アジアの一部をさして、南洋という表現も日本や中国であったけれども、もう少し北の国から見ての地理的概念にすぎない。インドとシナの中間で、インドシナという方がよっぽど正当な呼び方か。しかし、これも一部を指す表現でしかない。
 話は少々脱線したかもしれないけれど、東南アジアという限られた地域でさえ、それを総称する言葉さえ曖昧なのであり、とても何かを共有しているという意識は持てないだろう、ということである。
 結局、儒教や老荘思想を共有していたり、言語としては北京語と広東語の差は英語とフランス語の差よりも大きいと言われたりもするけれども、漢字を書けば意味は通じるという関係を共有している、同じ中国人という意識がある等々ということで、ヨーロッパという概念に相当するものを、アジアで探すと、中国くらいではないかと思われたのだった。



「旨み」という共通感覚

 ところで。この「ヨーロッパ=中国」論は、ヨーロッパを旅しながら、ふと浮かんだ思い付きでしかないのだが、改めて考えると、ヨーロッパを合わせ鏡として、アジアを投影しているのかもしれない。あるいは、アジアを考える上で、示唆するものがあるかもしれない。
 たとえば、明治以来の日本の知識人の間で繰り返された問い、アジアは一つか?
 それは絶対にそうではない、ということが、これまでの話でもお分かりのはずだ。
 そもそも、アジアという概念で私たちが意識するのはどこまでか。アジア大会では、あるいはワールドカップのアジア予選ということでは、中東の国々までがその範疇であるが、普通に私たちがアジアという場合、そのあたりまで考慮に入れて、ということはありえないのではないか。インドだって怪しい。
 結局、東南アジアから中国、朝鮮半島まであたりでアジア、という感覚でいるのではないか。アンケートの結果、ということはないけれども、日本人どうしでアジアという話題になって、その範疇はと考えると、だいたいそのあたりのように思われる。
 それでは、その東南アジアから東アジアにかけての地域に、文化的共有項はないのか。
 筆者は、これまでの話でお分かりのように、アジアもヨーロッパも舌から考えているような食いしん坊である。もう少し、真っ当な言い方をすれば、食文化という視点からアジアを見てきた。そして、思うのが、「同じ××人」という意識の持ち方はないかもしれないが、確かに共有している部分は多い、ということである。例をあげてみよう。
 たとえば、塩辛と馴鮓。魚や蝦を塩漬けにした塩辛、あるいはそれにご飯を加えて乳酸発酵をさせた馴鮓(日本でいえば、滋賀の鮒鮓など)のような食品は広く東南アジアから日本にまで存在する。
 稲作を中心にして発達した地域であり、稲作というと、食用の家畜を飼いながら、というのは難しい。どうしても、蛋白源は魚ということになってしまう。稲作では多量の水を必要とするし、そのために灌漑用水などひくと、そこに魚が湧き、それが蛋白源となる。もちろん、日々同じように捕れるということはないので、捕れる時に捕って、保存しておこうという工夫が行われる。それが、干物であったり、塩漬けであったり、ということである。
 で、魚を発酵させたアミノ酸系の旨味、馴鮓の乳酸系の旨味を旨いと思うことで味覚を共有しているということである。そういえば、この「旨味」の感覚を共有している東アジアと東南アジアでは、味の素のような旨味調味料が広く受け入れられているが、インドから西では受け入れられていない。
 蛇足をいえば、魚の発酵食品以外の稲作とセットになった蛋白源が、大豆である。畦道に植えたりで、簡単に入手できる蛋白源であるが、これが硬くて加工が手間であり、それを容易にという工夫が、味噌、醤油であり、納豆であり、豆腐であり、モヤシである。すべてが均一に存在しているわけではなく、たとえば、納豆など日本とインドネシア、マレーシアのあたり、そしてチベットから雲南、ミャンマー北部のあたりだけだったりするが、ともあれ、大豆が大事な食品であることは間違いなく、上記のいくつかは、それぞれに存在している。



異質と同質の混沌を見据える


 こういった共通性は、嗜好が似ているといった問題ではなく、国家の形成過程から、社会の構造などにまで関わる。たとえば、大嘗祭や新嘗祭というと、日本固有の儀式のように思われるけれども、タイで国王が田植えをする儀式の日が国民の休日であることを知って、なんだ、日本だけではないのだ、と思った。稲作の前提には灌漑(がい)を作り上げることがあるが、村落規模では難しいことが多い。いきおい、それを越えた権力の形成を促す。あるいは、稲作によって富の蓄積が可能となるため、争いも起きやすくなり、それを調停する宗教的な意味合いも兼ね備えた指導者の誕生を促す。
 というわけで、稲作をベースとした国には同様の権力構造が見られたりもするように、思われるのである。そういった、共通項さえありうるのではないか、ということである。
 しかし、だからといって、東南アジアと日本がアイデンティティーを共有できるような関係であるといっているわけではない。またまた、食文化の視点からいうと、東南アジアにはスパイスを多用する、カレーのような料理が多いことは、インドと共有する部分がある、ということである。日本が中国文明の影響を強く受けているように、ベトナムやフィリピンを除く東南アジアはインドの影響を受けている。共有する部分がある。
 ついでにいうと、ココヤシの果肉に水を加えて絞った、ココナツミルクを頻繁に用いることは、南太平洋の島々から、東南アジアを経て、南インドに共通する文化であり、生野菜や生のハーブ(香草)をよく食することは、東南アジア独自といっていい特徴である。
 つまり、食という卑近な視点から見るだけでも、是々非々ではないけれども、共通である部分で、異質である部分と、錯綜しているわけである。当たり前と言えば当たり前ではあるけれども、お互いに(特に日本の側が)そういった基本的な違いも認識せず、「同じアジア人ではないか」と安直な態度で接すると、火傷をする、誤解の再生産が起こるというわけなのである。あるいは、日本と東南アジア諸国との関係の問題であるだけでなく、中国と東南アジア、あるいは東南アジアの国々の間でも同様の問題が起こりやすいし、実際に起こっている。
 結局、ご近所であることに安住せず、異質な部分もあることを意識しつつ、謙虚に相手の文化を知る努力をすることしか、何も始まらないのではあるまいか。「同じアジア人」という意識を形成する必要があるのかさえ、判断に迷う大問題であるが。



アジアよりアジアに近い西欧圏


 ところで。実はこの稿をオーストラリア、それもパースを中心とした西オーストラリアを旅しながら、書いている。たまたま、旅の予定と原稿の締切が重なったから、しょうがなくパソコンを担ぎつつ旅して回っているのだけれども、アジアを考えるのにこれほど適した土地はなかったかもしれないと思っている。
 パースからシドニーよりも、シンガポールの方が近い。国内線は高いから、シドニーに行ったことはないが、シンガポールやインドネシアだったら、何度でも、というような声をよく聞く。
 これは西オーストラリアに限ったことはなく、全国的な傾向であるが、「西と東が出会った」、つまり、東西の融合したような料理が流行という言葉を越えて定着しつつある。こちらの西洋人のシェフでも、味噌も醤油も味醂も、そしてナムプラ(タイの魚醤油)もオイスターソースもすべて常識なのである。特に何料理と冠しない普通のレストランで、パスタにオイスターソースで味付けしたものがあったり、チキンのフリッターにタイのチリソースが使われていたりするのだ。
 市場を歩いても、普通に東南アジアや日本の料理の食材が売られている。巻き寿司が普通のオーストラリア人の家庭を訪ねた時に登場して、変わった家なのかと思っていたら、他の家でもパーティーでも登場して、なるほど根付いていると納得させられたりもしたものだった。ちなみに、この国独特の巻き寿司が、ヤビと呼ばれるザリガニの仲間の身が入ったもの。何故か、それが定番になっている。
 それにしても、何故、オーストラリアでアジアなのか。背景的には70年代からいわゆる白豪主義を捨て、インドシナ難民など受け入れて、アジアが身近になったこともあるが、なんといっても、パートナーとして大事な存在となってしまったということだろう。
 どうしても、意識としてはかっての御本家、イギリスの方を向いてしまう部分もあるけれども、経済的な関係としては日本をはじめとするアジア諸国の方が、すでにはるかに大事なパートナーなのである。関心も当然、深まるし、その延長線上で、アジアと西洋の融合のような料理も生まれてきているということなのである。
 もちろん、その流れは一筋ではない。あまりにもアジアとの関係を強調されると、白豪主義的な傾向、あるいはヨーロッパ指向も出てきたりするけれども、流れとしてはアジアとのより深い関係しかないと思われているようである。
 つまり、アジアがアジアのアイデンティティーを問うだけでなく、オーストラリアというご近所さんさえ、アジアとのアイデンティティーをどのように確立したらいいものかと自らに問いかけているように思われたのだ。
 ひょっとしたら、この国は将来的にはヨーロッパとアジアの双方を理解する「通訳」的な立場となって、面白い役割を演じることができるのではないかと、日本が一番のマーケットだと説明されながら、伊勢エビなどつまみながら、イギリスが一番のマーケットというワインが美味しいので、酔っぱらった頭で、そんなことを考えている。


もりえだ・たかし●フォトジャーナリスト、ルポライター
1955年生まれ。世界的な写真家ユージン・スミスに感銘を受け、大学時代からアジアを中心に世界各国を旅し、フォトジャーナリストとして活躍を続ける。特に食文化を通じた文化論で、深い洞察とユニークな筆致に富んだ著作を多数手がける。主な著書に『食は東南アジアにあり』『図説 東南アジアの食』『味覚の探究』『ワインを飲みにオーストラリア』他。

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