■インタビュー■
デザインは都市をどう創るか
荒川修作
現代美術作家として世界的に活躍する荒川氏が、ここ数年来取り組む「アーバン・デザイン」の実験的プロジェクトが、欧米で高い反響を呼んでいる。東京臨海副都心を想定してプランニングされた「宿命反転都市」構想は、20世紀建築への徹底的アンチテーゼとして提示されている。
21世紀へのデザイン、アーバン・マネジメント、メンテナンスまでにわたる問題意識を聞く。
この「混乱」はなんなのか、
「共同性の意思の力」が現代の日本人にはないのか
―――ここ数年来、荒川さんは都市デザインのプロジェクトに取り組まれるなかで一貫して、20世紀の建築と都市計画を真っ向から否定するアンチテーゼを提起しておられる。とりわけ日本については「建築家や都市計画家と称する人が山ほどもいながら、彼らは日本人にとって大切なものを堂々と壊し続け、あの日本橋でさえも平気で埋めてしまった。誰一人として、建築とは何か、都市とは何かを考えていないこの国には、まともな街や都市が一つもない」と手厳しい発言をされていますね。
建築―アーキテクチャ―という言葉が輸入され、かれこれ二百年ぐらい経ちますが、この国ではいまだに、この言葉の意味について真剣に考えた人を私は知りません。これだけ教育がゆき届いているのに…。ジオメトリー(幾何学)、それからシビリゼーション(文明)についても結局、同じことが言えると思いますね。
日本には、いまだに村や街のコンセプトもありません。村や街、都市について話をするということは、ほとんど不可能でしょう。だから都市の未来なんて、どう逆立ちしたって考えようもない。
とにかく悲劇的なのは、法律や制度を変えようとした建築家や都市計画家が戦後日本にいなかったことです。その中では大高正人さんが一人「ガンバッタ」と聞いていますが…。
新幹線で東京から九州まで走ってみて、その風景を見れば一目瞭然です。日本の都市や街をがんじがらめに縛りつけ、否応なく決定づけている法規や制度は、戦後から今日に至るまで、何一つとして変わっていないと言っていい。この「分裂病的な混乱」はなんだろう、現代の日本人に「共同性の意思の力」がないのか、あるいはもともとの性質なのか…。日本の専門家や知識人や文化人たちが「アーバンデザイン」というものの重要性をほんの少しでも認識していれば、話は違っていたのでしょうが。
この国の建築家や都市計画家には、哲学や思想がまったくなかったようです。わずかに例外として、1955年頃、岡本太郎さんが今の東京臨海に「夢の島」というラディカルな街づくり計画を語っています。丹下健三さんの東京計画より五、六年前のことです。それから戦後の日本で唯一の建築思想であり運動であったといえる「メタボリズム」を結成した川添登さんらがいましたが、残念ながらあの運動が育つ環境も、他の知識人の参画もなかったために、ほとんど発展せず消えていってしまいました。あれが少しでも成功していれば、日本の街や都市は変わったでしょうね。本当に残念です。できることなら今からでも、また始めるべきです。
他には、槇(まき)文彦さんが進めておられるいまだ進行中の「ヒルサイドテラス」(東京・代官山)の街づくりなどは、日本では珍しい実験の一つですね。
おそらくこの国で都市を考えるには、家康の時代まで遡らなければならない。江戸の建設は単なる土木造成工事なんかじゃない、あれこそまさに建築であり、日本に都市の原型を探るとしたら、あの時代まで戻るしかないわけです。
この国には、いまだにモダニズムの原型もないですね。一体何が「狂って」いるのか。建築界だけでなく、思想界も芸術の世界も、何一つ新しい動きが生まれない。お金と技術のために働く、本当にデタラメでミジメな国です。ひょっとすると、建築家や都市計画家がいなければ、もう少し街や都市は良くなっていたかもしれないかな…。(笑)
日本人は無意識のうちに
「アンチ・アーキテクチャ」志向に支配されている
―――日本のモダニズムというのは、自然科学にしても文物の輸入でした。「物理」にしても「物」は持ってきても「理」がなかったと言われます。都市計画も、丸の内や大手町を創ったときに持ってこようとしたものは、基本的には19世紀の「衛生都市」とか、「国民国家」の威容を象徴する都市とか、そんな概念を輸入しようとはしたのでしょう。しかし結局それは概念として日本に根づき発展することなく、ただモノとして広がっていっただけなのでしょう。
そしてあらためて今日、日本人の歴史や記憶の中の建築の不在、建築の行き場のなさについて、建築家からもあらためて反省や未来への問いが投げかけ始められていますね。
日本の近代思想というのは、本居宣長なんかが「もののあはれ」とか「理をつきつめれば情になる」などと言ったように、概念を重視しないところからそもそも始まっていますからね。概念を信じない民族は、価値がどのようにして生まれ、作られるのか知りません。だから価値の転向など起こりませんし、「革命」も決して始まりませんね。
もうひとつ言えるのは「浮き世」という言葉に象徴されるように、日本人の生き方の根本にある生活思想は、「アンチ・アーキテクチャ」なんです。結局のところ、ゆうに五百年以上もこの考えが我々日本人を無意識的に支配してきているわけで、「アーキテクチャ」なんて言ってみたところで、そんな概念がすんなりと受け入れられるわけがない。「建築」という概念は、いまだこの国には登場していないんです。しかも困ったことには、私はその欧米の建築家が作り上げたコンセプトから遠く離れて、まったく新しい「建築」のコンセプトを発表し実現しようとしているので、ますます話が「こんがらがって」きますね。(笑)
日本人の無意識の共同性のなかの「住む」というところには、科学も哲学も必要とされてこなかった。日本人の「住む」共同性は、いまだに動物と同じであり、人間というレベルじゃない。その反転としての豊かさが「エコノミカル・アニマル」という言葉に…。その危険が今まさに、我々に突きつけられているんです。空虚な豊かさの時代もついに終焉し、「浮き世」にいたずらに流されていこうとしている。我々を人間として支え、情を理性へと引き戻す新しい「建築」のコンセプトや都市が、この国から生まれるとは考えられません。
日本の建築家や都市計画家は、このデタラメで無計画な、およそ建築からほど遠い「列島」を眺めて、なぜ何も出来なかったのか。もういいかげんそのことを認め、ゼロから問い直すべきです。おそらく建築や都市について何も知らない官僚が、すべての裁量をしてきてしまったのでしょう。日本のすべての建築家は、今こそ法と制度を変えるために立ち上がるべきです。今からもう一度、同じ方法で近代のアーバン・デザインをやり直そうとしたら、おそらく千年はかかりますよ。(笑)
―――西洋の建築は「解読する」ものとしてあり、言葉で表現し言葉で評論することのできるものとして構築されています。この基盤は長い歴史のなかで、徹底的に突き詰められてきた一大体系としてあると思うのですが。
その通りですが、20世紀の終わりを迎え、あの欧米の「建築」や「都市」という概念もファンクションを失ってきました。そもそも貧しかった時代に、人間の「精神」に奉仕するところから始まっている概念ですから、「精神的」に豊かになろうという思想がその原点にある。精神的な街、精神的な哲学、精神的な芸術…。ところが今日からみればこの「精神的」という言葉の意味も薄れ、そのため新しい思想の妨げにもなってきたのです。
結局、欧米の「建築」というのは、抽象化された精神が重視されるあまりに、個々の人体や、身体の運動や行為から発生して偏在する無数の現象をまったく無視してきたわけです。構築されたバーティカルな(=屹立した)風景なんて、生身の人間には使いこなせないし、人間を孤独にしただけです。徹底して人間が疎外されてきたのが、西洋の建築であり都市であったということを最近になって気づいたのです。私が今住んでいるニューヨークは、その典型ですね。(笑)
いまや欧米でも、これまでの様々な現代建築の系譜がなんら意味をなさない時代にあるんだということが分かってきました。バウハウス以降の80年間のモダンデザインの集大成であるニューヨークにおいても、ル・コルビュジェやミース・ファン・デル・ローエのデザイン思想すら使い物にならないという危機に直面しています。なんとか次の時代へ飛躍しようと、この2、30年、ネオモダン、ポストモダン、デコンストラクションなどの思想が模索されてきたわけですが、アーバン・デザインの根本的な思想はまったく変革されることなく今日まできてしまったと思います。
とっくの昔に「精神の時代」は終わっているのに、それに見合うアーバン・デザインがいまだ創造されていないことが世界的な問題ともなっているわけです。
「建築する」とは
新しい「生命」を創りあげていこうとする行為である
―――ここ最近の荒川さんのプランや発言を見ましても、「宿命反転都市」を通じて提起しようとされているものは、もはや単なる「アート」「前衛芸術」の表現領域を超えて、より実践的かつ政治的な「アーバン・イズム・プロジェクト」とでも言うべき大きな運動を意図されているように感じられるのですが。
その通りです。(笑) 私は、欧米の「精神」を「身体の行為」に置き換えることによって、世界の歴史においてもまったく新しい「建築」のコンセプトを提示しています。一言でいえば、構築された環境と、身体の運動や行為によって生まれる出来事や現象から、新しい「生命」を創りだそうという…。
つまり「建築する」とは、アーバン・プロジェクト、すなわち生活空間としての街や都市を建設し、その場所に「住む」人々の行為や出来事によって織りなされる「関係」を創りだすことなのです。ですから村や街、都市のためのいわゆるアーバン・プロジェクト、いわゆる新しい生活空間を生み出すことが、私にとって最も大切なテーマなのです。
戦前も戦後も、日本の知識人の一人として「住む」という概念を考え、つくりだしたことはありません。「住む」という意識は、大変に難解な行為です。例えば「あそこには住みにくい」と考えた時、その人の生活の場と、その住みにくい場とが、他者には見えない何か別の「世界」をつくりだしているのでしょう。「住む」という意味は、その時々によって様々な文脈や物語を伴って変わっていくものなのです。あえて簡単に言えば、「住む」という行為は、風景や建築的環境、物がある場所と、身体の行為や運動がなされる場所とが重なったり、一緒になったり、そういう「反復」を可能にする場によって営まれる意識的な行為ですね。
7、8年前に「宿命反転都市」の最初のブループリント(設計図)やモデル(模型)を出し始め、ニューヨークと東京の美術館でプレゼンテーションしながらじわじわと進めてきたんですが、今年さらに具体化した案を東京都の「レインボータウン(臨海副都心)街づくり都民提案」というコンペに出したところ、専門家の部で、特別賞というのをいただきました。行政から公的に評価を得るために、大変な時間を必要としました。これまで、ヒラリー・クリントンや米国大使館の偉い人が「こいつはユニークだから、日本の新しい公共事業の一つでもやらせてみたらどうだ」と推薦状を出してくれたりもしたんですが、ずっと門前払いでしたからね。(笑)
このほかにも、豊洲に築地の魚市場を移転した複合都市計画もブループリントを出していますし、日本のどこにでもプランを出していく考えで色々取り組んできましたが、日本ではすべて「ダメ」でしょう。(笑)政治家、知識人、文化人のなかに、「仁・智・勇」の「勇」が、どうにも見当たらないし、将来的にも、この国にそうした情熱を育んでいくことは、大変困難なことでしょうね。
海外ではベルリン、ヴェニスに向けてプランを出しています。ヴェニスのマッシモ・カチャーレ知事――彼は哲学者でありまた建築評論家でもあり猛烈なペシミスト(悲観主義者)なんですが――がグッゲンハイム美術館の展示を見て「建築でこんなオプティミスティック(楽天的)なことが出来るのか」と驚嘆してくれて、(笑)ヴェニス最大の島、ラ・チエルトサでやってみろとゴーサインをもらっています。資金面の問題をこれからクリアしなければなりませんが。
それから99年の春には、アメリカのイエール大学建築学科で「宿命反転都市」のコンファレンスが開催されることが決まりました。日本の方にはわからないでしょうが、これは大変なことですよ。(笑)欧米の建築思想に意義を申し立てるコンファレンスです。
今のところ可能性はありませんが、チャンスがあれば東京の臨海の街づくりには全力をあげて取り組みたいですね。「宿命反転都市」のプロジェクトが日本の首都圏で始まれば、これは世界の大事件であり、初めて日本発の文化革命を世界に発信することができるんだと、そのように信じています。一体何をどうすれば、このような革命的な計画を実現することができるのでしょう。この国は戦後何一つ、世界に誇れるものを建築していないんですからね。
今急に思ったのですが、幕張で私の「宿命反転都市」をやってみませんか。(笑)このアイデアが実現されれば、政治、経済、文化、そして日本人の「性質」も必ず変わると信じています。
法や制度が革新された新しい場所=「小国家としての都市」
の構築が必要だ
―――「宿命反転都市」構想は、従来の建築の常識から考えると破天荒なプランのように見えますが、実現化を想定しての法規制やコストや運営面の問題などについてはどの程度検証されているんでしょうか。
東京の臨海副都心に構想しているプランについては、実現化の検証は3年前にすべて出来上がっています。法規制、コスト、構造、すべて実施段階に進められるところまで終えています。でなければ、東京都から賞は出なかったでしょうね。(笑)そして次は実施設計に取り組んでくれるデベロッパーを見つけたいんですが、さてどうなるものやら…。
例えば「どこが私有地でどこが公共地なのかあいまいだ」「複雑で容積率が計測しにくい」と難色を示されるんですが、あいまい、複雑を排除したら、私たちの身体の行為や運動を主体とした「建築」は絶対出来っこないんです。しかし、これらのプランは全部実現化を想定していますし、皆さんが外見から感じられる印象よりは、ずっと合理的に考えてあるんです。もちろんコストも従来と同じ程度の予算でできるし、法規制だって納得のゆく論理でもって柔軟に変更できるように計画されています。
さらに、私が特にやりたいのは、アーバン・デザインの「メンテナンス」なんです。これは欧米でもまだやられていない。「アーバン・ドクター」のような役割を果たす者が、駐在所みたいなところに居て、住民のよろず相談なんかもすべて受けるわけです。そして未完の都市で起きている無数の現象と呼応しあいながら、絶えずアーバン・デザインし続けるんです。アーバン・ドクターはもちろん私自身がやるんですよ。(笑)
都市で人が生きるということも一つの自然現象です。自然の現象というのは、何が起きるか予測がつかない。思いがけないことが起きたら、それに応じて都市をデザインしていくことが大切なんです。これこそが生活の中から生きる目的を見つけ出すすべなんです。街そのものが、学校になり美術館になり劇場になり、詩や哲学が生活の行為の中から生み出されるのです。
―――欧米では大学に「アーバン・マネジメント」という専攻分野があったりしますが、日本にはまだないですね。アーバン・ドクターとおっしゃったのはまさに、都市を「経営」する専門家を取り込もうという発想ですね。
そうです。経営―あるいは政治―がなければ都市は成立しません。昨今日本で叫ばれている家族の崩壊や子供の問題、コミュニティの問題は、突き詰めれば「家が面白くない」「街も面白くない」ということにつきるのではないでしょうか。哲学も体系もないこの国においては、メンテナンスの仕組みそのものを、根底から変えなければならないんですよ。
もう一つ、私のアーバン・デザインにおいて重要なコンセプトは「小国家としての都市」ということです。なぜ「小国家」としての都市が必要かといえば、今ある体系をまったく信じていない国民にとっては、制度や法が一気に革新された新しい場所が必要だからです。小国家としてひとつのアーバン・デザインを成立させるためには、建築というよりもむしろ経営のブループリントをどう創るかというところにすべてがかかっているといっていい。考えてもみてくださいよ。私たちはもう十年間もそのことに労力を費やしてきているんですよ。
私のプランはみんなまず形象に目を奪われて、なんだ前衛芸術家の気紛れな創作じゃないかなんて言われますが、コンセプトは都市という生命体のマネジメントであり、そこに住む一人ひとりの行為と環境から生まれる「新しい生命」のメンテナンスであり、計画のすべてはそこから出発しています。中心にあるのは法律や規制じゃない。人が住み、人の行為があり、建築的環境があり、それが建築的形式を決定するわけです。
例えば道の上に屋根があり、そこがまた道になっている。そういう従来の法律では許容されないような定義のあいまいな領域を、独立した都市条例によって意図的に増やしていく。官でもない民でもないような半官半民のスペースが増えれば増えるほど、人は所有という概念から自由になっていく。そこで初めて「庭付き一戸建てがいいなあ」という金太郎飴のような貧しい「住む」思想から一歩踏み出すことができるんです。
―――あらためてそこで荒川さんが提起しようとしている「建築」とは、どのようなものなのでしょう。
先ほども触れましたが、私の「建築」のコンセプトは、人の行為や運動が主体ですから、欧米のモダニズムの建築とはまったく違います。「身体の行為」と「建設された環境」との関係から生まれる新しい知覚や感覚が、日々新しい共同性を帯びた環境や、様々な思いがけない出来事を見つけ出していく。次第に共同的な現象としての「偏在の場」が創りだされ、生成変化しながら、外在する現象を創りあげる「場」を構築していく。それらの行為すべてを併せて「建築する」と言いたいですね。まったく新しい「生命の建築」…。「現象」をキャッチし、育み、さらに新たな方法でデザインをしながら、あたかもキャスティングするように新しい生命を創りあげていくこと。建築するとはそういうことです。
これからは、アーバン・デザインが一つの新しい思想や倫理、科学として進化していく時代にならないといけない。今までのように言語から生まれた概念ではなく、生活空間と人の行為から生まれる経験それ自身と、そこに様々な知の体系が総合され、我々人間がこの地球上に生きていて良かったと思えるようになるためのあらゆる方策が、建築や都市へと生かされていく、そのような総合科学へ進化させていくことが理想ではないでしょうか。
地球上に住んでいる一国民のエチケットとして、それを一日も早く、私たちの時代に始めるべきなのです。
あらかわ・しゅうさく●デザイナー、建築家
1936年生まれ。60年に現代芸術運動家として「ネオ・ダダイズム・オルガナイザー」を結成。61年には渡米し、以降ニューヨークを拠点に夫人のマドリン・ギンズと共同し前衛芸術家として活動。著書『意味のメカニズム』(70年/ドイツ、アメリカ)、『死なないため』(79年/フランス)、『宿命反転地』(95年/イギリス、アメリカ)を出版。86年には仏政府からシュヴァリエ勲章を拝受。この10年来、空間デザイン、建築デザインに射程を据えて数々の作品を発表。94年には岐阜県養老町に実験的なミュージアムパーク「養老天命反転地」を制作し、日本芸術大賞受賞。97年8月、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で発表した東京臨海副都心プラン「宿命反転都市――死なないために」が話題を呼んでいる。99年、米国イエール大にて「宿命反転都市」コンファレンスが開催予定。
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