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■座談会■

「子ども」と「おとな」の共生都市へ(2)



死の臭いがない街

近藤■もともとは、地域の氏神様が、みんなをつなげていた。だけど、新しいところというのは神様がない。宗教的なシンボルではなくて、地域のシンボルが何かというときに、いま溜先生が言ったように、学校が氏神さまになるのは、おおいに賛成です。

溜■じゃあ、さしずめ私はこの街の卑弥呼でしょうか。(笑)

近藤■いや、それぐらいの覚悟は必要でしょう。学校が核になるからには、地域社会そのものとの軋轢とか矛盾とかあっても、それも全部引き受けなきゃいけないところがありますから。

溜■だからこそ、学校からの情報発信が大切なんですよね。

 以前ここで建築学会のシンポジウムが行われまして、やはり、この街に欠けているのは、神社とか、あるいは死の影というようなものがないと。お墓もない、セレモニーホールもまだない。ごみも見えないように、地下で風圧式で集めていますし。

近藤■これから五百年後、千年後まで考えると、当然ここから出発するわけですから、ここから生活を出発した人は、ここにお墓ができるというのが、宗教的なものとは別に、地域と自分たちのつながりを確認するうえで、どうしても必要になってきますね。もともと問東京人だってお墓はなかった。東京に出てくる人たちは、田舎に先祖代々のお墓があって、それが拠り所だったわけです。

 お墓なんてどうでもいい、ここは通り過ぎる街で、何年かたったら引っ越しちゃう、子どもが生まれたら、いい学校へ行って、旦那の就職に都合のいいところへ越していくということになってくると、コミュニティの発想が全然違うものになってくる。

 ただ、この街はとてもきれいですよね。公園もきれいだし、この学校のなかも全部風通しよくて、それはすばらしいんだけど、従来、子どもたちのサブカルチャーだった、先生や親に内緒で悪さしていたような場所が、全部ガラス張りになって、薄暗さが感じられない。

 山、谷はもちろんないし、隙き間がない公園というのは、汚い水がたまらないから、ボウフラがわかないし、トンボも来ない。緑だけあっても楽しくない。植えてある木も、いかにも人工的に植えましたという、木の名前なんか貼ってあって。

 かつて、親や先生に全部禁止されていたことが、すごくきれいに明るくなって、「どうぞ皆さんやってください」という親切さが感じられる。子どもは、親が登っちゃいけないというよう木にこっそり登って、枝を折って、落っこっちゃうような遊びが大好きじゃないですか。

大塚■ここはダメっていう部分があって、じゃ、ここを抜けてやろうとかね。塀を乗り越えてたりね。

近藤■で、ときどき見回りに行って、コラッと言う人がいると、その遊びも面白いし。

大塚■ハラハラドキドキしてというね。

近藤■そうそう。

溜■いまそれは、まだ空いてる土地の草っ原でやってますよ。

近藤■この親切さのなかで、子ども文化の自立性や、親や教師に内緒で、子ども同士で徒党を組んでつくり上げた信頼感とか、クリエイティビティみたいなものは、どこから生まれるんだろうか。これは、むしろ日本全体の問題ですから、逆にこの街の明るさから、まったくこれまでにない子ども文化の実験ができるのなら、すばらしいと思います。

大塚■ここはとてもきれいですね。アメリカの都市の学校はすごいですよ。ニューヨークなんていったら、1ブロックか2ブロック行っただけで全然違う。狭い中で、金持ちもいれば、物乞いしてる子どもらもいる、まさにごった煮状態。

近藤■本当に異文化ですよね。言葉が違って、食べるものも違う。

大塚■それでも、みんなが生きるエネルギーを持っている。


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