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インタビュー■
「アジアの奇跡」を考える

―21世紀日本のための新・入亜脱米論(1)
ジェームス・C・アベグレン


〈強い政府〉が培ったアイデンティティこそが
成長の起動力だった。


――「停滞のアジア」と言われた一九五〇年代のアジアがなぜ、この三十年間の驚異的な発展へとテイクオフできたのか。いったいその要因はどこにあると考えればよいのでしょうか。

アベグレン■確かにその点に関して、経済学者はあまり明快な分析をしていないかもしれません。

 第二次大戦直後から、一九五〇年代、六〇年代半ばまで、アジアも含めて、中南米、アフリカなど、当時の後進諸国の経済成長率を上げていくために、さまざまな開発モデルの研究と援助が盛んに行われました。そのなかでアジアだけが、一九六五年頃から、現在にいたる三十年間に、「アジアの奇跡」と呼ばれる驚異的な成長が遂げられたわけです。

 これがなぜ、「アジア」だったのかということについて、考えてみましょう。

 最大の要因は、アジアの成長国が、戦後の独立化のなかで「強い政府」を築き、先進諸国への政治的依存を断ち切るだけの、自国の強いアイデンティティを確立できていたということでしょう。

 たとえば、インドネシアのスカルノ大統領は、経済政策はさておき、独立な国家アイデンティティを築きあげました。植民地時代からの独立に、マレーシアもシンガポールも、十五〜二十年の歳月をかけて、アイデンティティを立て直したのです。

 そして六十五年頃、韓国は朴大統領が政権をとり、そしてインドネシアはスハルト大統領の時代を迎え、シンガポールが独立しました。この頃から、「アジアの奇跡」が現れ始めたのです。

 スハルトの新政府は、経済成長に政策を集中させました。スカルノの築いた、強い政治的な基盤のうえに、この経済成長がうまく乗っていったのだと思います。

 そして韓国も、もちろん国のアイデンティティが強くあったから、朴政権の経済政策が、順調に伸びていったわけです。

 そしてさらに、教育水準をかなり高くするよう努めました。財政ストックをできるだけ高めて、インフレを十分に懸念し、そのうえで、政府が経済成長に集中していった。じつによくやってきたと思います。それはやはり、何よりも国に「アイデンティティ=自分」というものがあったからです。

 そして、この急速な成長は、もうすでに三十年間続いたのですから、これは「奇跡」ではなくて、まぎれもない努力の結果なのです。

 アジアのなかでもフィリピンのような国は、中南米的な問題を抱えていて、発展に乗り遅れました。六十五年当時の政府は、弱い政府になってしまい、国の文化が失われ、アイデンティティが崩れてしまった。やはり、スペインとアメリカの植民地的な影響に問題があるでしょう。

 逆に、インドネシアという国は、フィリピンにくらべて国土も広く、民族や宗教などにも複雑な要素がある代わりに、「インドネシア」という概念そのものが、非常に力をもっているわけです。



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