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ネットワーク都市の「家族」

―繋がり合うものと背を向け合うもの(1)
芹沢俊介●評論家


「見えない繋がり」への誘惑

 デジタル化ということとネットワーク化ということはほぼ同義であると思う。電子技術が日常生活用品となって浸透し、気がついたらそれらなしでは不便を感じる。携帯電話は持つまいと思った。けれど子どもが利用しはじめ、あっさりと決意を撤回した。あまり利用しないけれど、これを持っていると必要ならいつでも連絡がとれるというだけでなく、どこにいても家族と繋がっているような気がするのだ。ものの利便性に舌を巻くということにとどまらず、見えない繋がりの回路が生じていることに感動する。

 困ったことも起こる。情報社会の特徴の一つは個人情報への関心が否応なく高まることである。権力は個人情報をネットワークとしてそのまま一括して把握・管理しようとする。社会は家族や個人がネットワーク化することを求め(たとえばカードの利用)、さまざまな手段を使って私たちをネットワークへと誘惑する。

 男女関係のレベルでは、まるで性の秘密を覗きみるような欲望の強度で、相手のプライバシー情報に接近したがる傾向が出現する。ストーカーはそういう意味ではデジタル時代が産出した異様行動だといえるかも知れない。このようにネットワーク社会は便利だし、繋がりができるが、その一方でそこに組み込まれていないと不安を覚え、かつ私たちのガードを固くする


ネットワーク社会に組み込まれた「家族」

 デジタル化はすべてを数量化して行く。たとえばスケジュールを決める。いったん決めるとその決められたスケジュールに沿って一日が流れて行く。後戻りしない、真っすぐの直線的な時間が一日を支配する。人間はそうした一日の主人公ではなく、主人公は決められたスケジュールなのである。だからスケジュールがないことに人は不安を覚える。だから空きの時間を埋めて行く。スケジュールは必然的に緻密になる。何かしなければならず、何もしないことに人は耐えられなくなって行く。

 これをデジタル・ネットワーク社会の感性だとすれば、こうした感性を内部に組み込んだ家族はどうなるか。社会の趨勢からはずれることに不安を覚え、他者への不信から自己のガードを固くする。何かしていないことを罪悪だと考え、いったん動き出したスケジュール(方向性)は緻密化しこそすれ、制止することは不可能になる。そして家族内部に固有の課題を見失いがちな状況にいつのまにか追い込まれている。

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