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次世代型シンクタンクの条件■第4回
アメリカから見た日本のシンクタンク


上野真城子

「霞ヶ関シンクタンク」への批判と提案

―――日本の政策研究、政策決定は、ほとんど官僚が行ってきました。上野さんらが一貫して働きかけておられる、「日本に独立型シンクタンクを」の提唱は、この「霞ヶ関シンクタンク」への批判を踏まえたものと思いますが、「独立型シンクタンク」はどのように日本の進むべき道を打開しうるのでしょうか。

 日本の官僚機構、政府機構はいまその機構として硬直し病弊に悩まされています。この原因はここ五十余年、官僚機構は行政力の強化に伴って、次第に独占的、閉鎖的に自己の増殖と既得権に固執する過程をとり、官僚機構以外には政治家も国会も外部にはそれをコントロールし監視する力をもたなかった、というよりも癒着、依存を選んで来たのです。
 一方で明瞭に世界は変化しています。一人の人間の人生として百年前、ないしはここ30年での変化の最大事は、生まれて12歳か15歳ほどまで学べば一生をどうにか生きられる社会ではなくなったということでしょう。ことに先進国においては、18歳のレベルにならなければ収入を得られず、そしてさらにその18歳の知識技能のままでは、その後伸び続ける寿命80年を食べ続けることは大変になっています。飢餓、自然災害、絶対的貧困などにより困難さは減りながら、地球全体として持続可能な世界であるための、個人と社会、国家は果てしなく学び続け成長し啓発されることを必要としています。世界は真の「大人」を多数必要として来ています。日本はこの世界の必要とする「大人」になっておくのが70年80年の怠慢とおごりで遅れました。それは官僚の問題だけではありません。特に70年代、80年代、経済的繁栄と安定の中で、社会正義や公正、人間と暮らし方、生き方の啓発といったことも個人の価値観から抜け落ちてしまったと言えます。幸いなことは、まだ日本は今までに貯めたものがあるのでしばらくは、生きつなげる身分です。いまなされるべきことは、民間に「在野」に独立的な「知」の力を作ることです。そのために民間非営利独立型シンクタンクというシステム、社会的な装置が有効であろうと思う訳です。
 元米国国防長官ロバート・マクナマラ氏は、「国が複雑な事象に直面し、かつ海図なき航海にあり、見知らぬ環境にあって、行く手を変えなければならないという必要に立ち向かうにはどうすれば良いのかを、一般が理解するように準備していなかった」ことを自己を含めたアメリカ政府のベトナム進攻の過ちを認めた記録の中で指摘しています。そして、「我々は指導者も人々もともに全知ではないこと」を認識し、国際問題においても、人生の他の面と同様に即刻の解決はなく我々は雑然、混沌とした世界に生きなければならないことを認識しなければならないこと、そしてその中で国の行動、政策を、その目的、危険性、それらの代替案、そして失敗が明らかとなったときの方向の変換の必要性などを明瞭にすること、それらを強力な集中と徹底的綿密さをもって分析し討議することの必要性を指摘しています。実はマクナマラ氏は後で述べます、私たちの「日本にシンクタンクを」との主張に最初から共感と賛同をしていただいています。



独立型シンクタンク論

―――ありうべきシンクタンク像とは、その国の政治体制、政治風土、政治意識のありようによって、固有の姿をとっていく面もあるのではないかと思います。「独立型シンクタンク」の提唱のなかで、日本の政治姿勢への連関を、どう位置づけられているのでしょうか。

 独立シンクタンクとは民主主義政治のための不可欠の装置です。民主主義政治とは知恵による政治であり、社会の改良、改革が語られ、政策が人々によって検討され、政策が選びとられることです。
 独立シンクタンクの必要性が理解されない日本の状況は日本の民主主義の脆い基盤を示しています。民主主義を標榜する人においても、(まったく理解の危うい日本の政治家はもとより――余談ですが橋本首相が以前に書かれた「Vision of Japan 」には民主主義という言葉はひとつも出て来ませんでした。もちろん課題にも議論もされてもいません――)、民主主義の大変さとその本質への理解が希薄です。
 民主主義は自然に育つものではありません。それは人権と表現の自由との絶え間ない探求と希求の上に、厳しい試行と論争によって切り開かれていくものであり、政策と政治によって実行され、実現され、しかしそれも常に終局の到達点が明らかに存在するものではないのです。民主主義は試行の過程でしかないのです。その試行は厳しい挑戦と葛藤を、武器によらずに行うことを必要とします。そしてそれは変革、常により良きものへの前進を求めています。もし個人がその人生において停滞と後退でよいと望むなら、民主主義は必要ないのです。
 アメリカの多くのシンクタンクの政策研究、独立的なポリシー・アナリシスとアナリストたちの存在を可能にしているのは、究極のところはアメリカの人々の、民主主義と市民社会に対する信念の存在にあると思います。ウィンストン・チャーチルもかつて「誰にも民主主義が完璧、全知であるなどと言えはしない。事実言ってみれば今まで時々に試してきた政府形態を全部除外したとしたら、民主主義は最悪のものだ」と言ったように、民主主義とは今取り得る「少しはより良い」手段であり目的であり、未完の「過程」です。アメリカ社会はその過程としての民主主義をよりよいものとすることを大切に思い、そのための努力が必要なことを知っており、この民主主義の過程に政策と政策研究がいかに大切かを理解している、ないしはそう考え続けている人々が、知識人とリーダーシップをとる人々であるということでしょう。アメリカ民主主義は危機にある、「過剰な」民主主義、といった議論は日本に容易に伝達されます。そしてアメリカ民主主義は日本には合わない、アジアには合わない、という戦列をつくります。この流行には落とし穴があります。「過剰な」民主主義に十分とはいえなくとも政策研究の努力と知恵と議論があることを見損なっているからです。
 この10年から20年の、さぼりによって、日本の民主主義はその逞しい成長も怠っています。いまそれを強化するには非常な努力が緊急に必要とされます。それを測り間違えることは日本の市民社会にとって致命的になりかねません。指導的立場にある人々の責任と状況の認識は非常に重いのです。



独立的な政策研究の方法論

―――これまで日本に独立型シンクタンクの提案を行ってこられて、その実現化を阻む「壁」について、どのように感じられましたか。
 
 具体的な壁としては、独立的な民間での政策研究が成立するための素材として必要な情報データが公開されていないこと、民間非営利組織の設立が非常に困難なこと、民間にまわる、民間による研究資金、すなわちフィランソロピーの金がないこと、そして独立的なポリシー・アナリスト、政策研究者が少ないこと、すなわち法制度、資金、人材において障害があります。これはすべてこれまでの日本の社会構造と文化慣習と関係していますので、ある意味で当然なわけです。だから最近はもう障害とか、壁とか思わないようになりました。日本はこれからたくさんのチャレンジがある、挑戦するものがたくさんある、と考えます。
 私はそのチャレンジとしてのシンクタンクのモデルを出してきましたが、ちょうど最近、ここのインスティテュートが始めた研究プロジェクトをひとつの例としてモデルの説明をさせてください。
 今ここの研究所は300人のスタッフによって、常時100〜120前後の研究がなされていますが、今顕著なものとして「新連邦主義の検証」と呼ばれる政策研究プロジェクトが開始されています。
 アメリカ社会は現在「福祉型」大きな政府から小さな政府へ、地方への分権委譲、社会保障、医療保障の見直しという、国の方向の転換をしています。この国の方向、「新連邦主義」の選択がいったい具体的に家族と次代を担う子供達にどのような影響を与えるものであるのか、その変化を辿り評価しようとするのがこの研究です。
 この国家理念の変化の家族への影響をモニターし評価する研究は、全国的に州ごとの福祉データベースの創設、14州の政策制度変化のケーススタディー、5万人を対象とする家族に関する総合調査、州によって採択される新制度のトレース調査の大略4つの戦略で行われます。継続的に各州ごとの、社会福祉、医療、所得、雇用など計画、制度、資金、運営に拘わる膨大な関連データが整理されコンピュータに入れられ、インターネットを通して、市民が誰でもこの情報にアクセスできるようになり、そして各制度変革が家族、地方自治体、そしてノンプロフィットのサービス組織やコミュニティー機関にどういう影響を与えるのかを計測し評価することになります。
 このプロジェクトはある財団の要請で始まり、いくつかの財団が合わせて今のところ25億円の研究資金を出し、4年がかりのものとなる予定ですが、国からの資金援助はありません。他のシンクタンク、実業界、ノンプロフィット機関、大学などから研究全体の助言委員会が作られ、また技術的な観点から国の統計機関や他の営利研究機関からのアドバイザー委員会が造られています。調査内容とデータはインターネットや様々な形の文書ですべて逐次公開され、メディアに向け、また一般にもセミナー、ワークショップで、研究過程の発表説明がなされ、最終的には数十冊の本の出版となるでしょう。このプロジェクトのために内外から研究者が集められ、トップには省の次官補クラスを務めた経験を持つ研究者、チームには財政、医療、所得、雇用、家族、人口、児童、住宅、女性問題まで含めて、多くの業績を持つ政策研究者が入る。
 これは大規模な研究事例ですが、規模の大小と分野に違いはあれ、アメリカのシンクタンクはこうした「独立的」政策研究:ポリシー・アナリシスを長く行ってきているのです。過去数十年、膨大な人材と時間、「知」の投入を、民間の資金を核としながら、積み重ねてきています。こうした時代の要請に先んじ、答える研究ができる場としてのシンクタンク「組織」というのが私たちの提案するモデルです。



ポリシー・アナリストの使命

―――政策研究とは、アクションプログラムを伴ったリアリズムによる研究です。その点でのアメリカのシンクタンクの、研究マインドや方法論についてお教えください。
 
 アメリカの政策研究はリアリズムというより、アメリカ特有のプラグマティズムによるものといったほうがわかりやすいと思います。ポリシー・アナリシスは応用・学際領域として近年目覚ましく展開しています。この領域はひとつの科学や学問として体系化ができているものではなく、社会科学はもちろん、自然科学、技術工学まで様々な専門領域を基礎として、それらを医療制度、年金、税制、教育福祉、環境、公共財政といった機能別の政策制度として社会に適用させるものです。科学知識を政治社会に応用させる、そのための共通言語が「ポリシー・アナリシス」政策分析です。政策というものはそもそも民主主義の実施の道具といえるものであり、「国政」を対象とし、それに働きかける「運動」であり「過程」であるといえ、その研究は純粋学問とは異なり社会的応用「実践」領域を含んでいます。日本では近年の政策総合学部の設立にこの領域の形成が目指されていますが、これがアメリカにおいては、今世紀初頭から政府研究、ガバメント・スタディーからガバナンスを巡る研究と行政経営の研究、そして公共政策をめぐる領域として展開してきたといえます。ことにケネディー、ジョンソン政権の政策形成と評価への社会科学の思い切った導入という動きを経て、ポリシー・アナリシスの著しい発展が可能となりました。
 ジョンソン大統領が30年ほど前にアーバン・インスティテュートの設立を指示したのですが、そのときにインスティテュートの使命を「真理を探求する孤独な研究者と、改革を進める政策決定者との間の深い溝を埋めること」にあるとし、この「知」と「治」をつなぐ過程に、民間の組織、そしてそこに強靭な、そして柔軟な知性をもつポリシー・アナリストたちが生み出されてきたといえます。
 この領域を切り開くこと、これが日本の特にアカデミズムに今課されている重要な課題だと思います。
 最近、私の働くアーバン・インスティテュートでは、新しいシニア・フェローとしてルドルフ・ペナーを迎えています。彼は数年前もインスティテュートにいたので、復任ですが、経済成長と公共財政を専門とし、前CBO局長、AEI客員研究員、OMB経済政策副部長、HUD次官補、大統領経済助言委員会、ロチェスター大学教授、パレットグループ経営ディレクターなど、大学、シンクタンク、企業、政府の政治任命高官職などを歴任し、数々の政策研究の実績を持っています。また現在シニア・フェローのイザベル・ソーヒルは数年政府高官職を勤めて戻ってきましたが秋にはブルッキングス研究所に新しく作られた研究席に招かれて行きます。また別のシニア・フェロー、レイモンド・ストライクはロシアを拠点とした旧社会主義圏諸国の住宅の市場経済化に関わる政策形成援助とロシアでの独立シンクタンクの設立を済ませてモスクワから居を移す予定です。これはほんの数人の事例ですが、アメリカのシンクタンクに働き、流動するリサーチャー、ポリシー・アナリストと呼ばれる人達の層の厚さ、その経歴と政策研究力、知的スタミナは見事です。
 彼らは評論家ではありません。官、民の多様な経験と政治と社会、学問的実績を積みつつ知識をいかに現実の政策につなげるかを考える人達です。こうした人間を数多く持っているのがアメリカのシンクタンクと政策形成をめぐる社会の強力な特徴といえると思います。



国家の役割機能とNPOの役割

―――「国家=お上」の役割に替わって、意思決定や行動のイニシアチブを取る民主的な組織として、たとえば最近ではNPOの役割が、日本でも盛んに議論されています。これは、歴史的な国民国家の解体を反映している動向のようにも思われるのですが。

 国家の役割は変化しますが、国家が解体するのはまだ先のことでしょう。市民社会とは国家の解体を指すものではないと思います。ノンプロフィットが果たすべきことは、国家がいかに過ちを回避できるか、いかに国家を正せるかです。それは国家を解体することには今すぐには繋がらないことです。
 国家は変えるものです。そして変えることができるのが民主主義です。まだまだやること、やれることがたくさんあります。私たちはまだ何も答えを出していないのです。社会主義経済と中央統制国家、一党独裁国家体制の失敗は明らかになりましたが、とはいえ市場主義資本主義経済も、民主主義国家も、何ら完成したものではなく、失敗を免れている訳ではありません。過ちだらけであり、正当化されないことがらに事欠きません。それでも、民主主義と市場経済は前者よりはよかった、そして何よりも人間の自由と創造性への基本的な希求に、より適っているということに過ぎません。この人類史の永遠の過程を歩むのに、ノンプロフィット・セクターの理念と制度システムの存在が不可欠であろう、最善の手段であろうと、今のところ考えられるのです。
 しかし、ノンプロフィットの理解も様々存在します。その言葉としても、パブリック・チャリティーというべきなのか、また公益性とはなにか、それはそれでまだ議論がつきません。ただ私はノンプロフィットを、国家に対立する、国家権力のすべてに反対する、それに取って変わる「権力」とは捕らえていません。また単なるボランティアとして国家の機能の補完をするものとも思いません。社会を豊かに、柔らかに変革するための機構と組織、それは多様なもの、いいもの、悪いものさえもひっくるめて、(天国のようないいことばかりでは社会はつまらなく飽き飽きしたものになってしまう心配がありますから)多彩な多様な価値の共存する、そうしたものを大きく含める器としてのノンプロフィットが作られていくことが必要だと思います。それは国家も営利追求の企業もできないことなのです。
 シンクタンクについてはいろいろな見方があります。現在旧社会主義圏諸国の経済市場化と民主化において、ノンプロフィット・セクターと殊にシンクタンクの役割が急速な関心をもたらしています。併せて先進国においても、シンクタンクの分析が大きく展開しています。このことは極めて多くの示唆に富むものですが、その基本的な認識は、民主主義政治においての政策形成が多くの国々にとって、重要と認識されてきたことと、その政策形成にはそれにふさわしい適切な組織体が必要で、これはまた民主主義政治のための必要な機構制度、仕掛けが必要であるという認識が出て来たということです。
 行政改革においては、三権分立を確保すべく機能と能力の均衡をはかれる機構体制をつくることであり、それは同時に政府外、民間の機構の整備と連動する必要があります。すなわち民間非営利・ノンプロフィット・セクターの整備確立が必須です。そしてこのセクターの確立を促進しながら、既存の民間営利の機関の機能強化、改革もはかれるでしょう。これらの機関が解放性の高い、雇用の流動が確保されれば、真に日本の行政改革と社会改革が可能になると思います。
 やれることは、現在の課題ごとに、その分野の専門家を出来る限り多様賛否双方を含めて一定期間定住させて、情報を共有させ、研究補助態勢を用意し、問題の整理と分析、研究、提言に集中してもらうこと、その成果、すなわちひとつ以上の政策案を、政治家、メディア、市民に向けて知らせる教宣活動を組織的に行うこと、そのうえでの徹底した討議の場を構成することです。いま時間に間に合うか、それが問題ですが。



バーチャル・シンクタンクの可能性

 バーチャルなシンクタンクというのは一見非常に理があり、魅力的なアイデアです。インターネットに代表される情報革新は確かに様々な人間社会のあり方を変えるでしょう。多分この情報通信革命は民主主義政治の形態から資本主義の有り様までを変えることになると思われます。シンクタンクもこうした技術を抜きにして考えることは馬鹿げているといえます。
 バーチャル・シンクタンクというものがどういうものとなるのかの検討は大いになされていいでしょう。ただ私は政策研究という、応用科学であり、学際研究であり、人間行動への働きかけの必要な活動を含むシンクタンクにとっては、研究者が一定の物理的な場と時間、空間を共有することは不可欠であると思っています。これはことにこれからの政策研究が政策の相互関連性、価値判断を伴う課題の優先性の判断をますます必要とし、その過程でチームワークと討議、広範な視野とチェックの必要性から、複数の研究者が時間と場を共有する必要性はますます大きくなっていると思います。これらをバーチャルなものに完全に置き換えることは出来ません。もちろんそれによって補完されるものは多々あるでしょうし、課題によっては会議を数回すればいいというものもありますが、それですべてやれると思うのは危険です。これはもう古いと言われるかもしれませんし、経済合理性にあわないと批判されるかもしれませんが、バーチャル・シンクタンクで置き換えられるというのは、家族が一緒に暮らすことの意味と価値を疑うほどの人間自身へのおごりではないかと思います。
 情報の考え方においても今日本にとってとても難しいと思うのは、明瞭な確固とした思考の蓄積なしに、容易にすべての情報が「ただ」で手に入ってくると思ってしまう事です。
 政策に引き付けて言えば、政策は簡単にできるものではありません。もちろん長く金をかければよい政策が出来る訳ではありませんが、それでもそれなりに研究の裏付けと蓄積が必要です。政策研究と政策形成をインターネットでとって、模倣と安上がりなコピーとで済ましていくことのつけはどこかで回って来ます。
 今在外で活躍する日本人の政策研究者のデータベースを作り、政策研究の振興に寄与できる、在外邦人政策研究者のネットワークとフォーラムのようなものを作りたいと考えています。特にこうした中で、若手のこれからの日本の政策形成を担う研究者が育ち、彼らをプールし、ひいては彼らを日本の政策研究産業の担い手となってもらうことができないかと考えています。いろいろな障害は数えればきりがありません。でも優れた独立的な研究者が少しでも数多く出て来れば、社会も変わらざるを得ないのですから。いま次世代に力強い研究者を育てることが、最も早くシンクタンクを作る道ではないかと思っていますし、それは決して悲観的な見方というのではなく、いま私がアメリカで会う若い人達と育ちつつある次世代を見つつ、希望のあることだと思っています。


うえの・まきこ●アーバン・インスティテュート研究員
1944年生まれ。東海大学工学部助手、日本都市開発研究所、福祉都市研究会主任研究員、ニコルス・アソシエーツなどを経て、86年より現職。住宅政策、コミュニティ・ビルディング、市民参加、ノンプロフィット、シンクタンク研究を専門とする。著書に『世界のシンク・タンク―「知」と「治」を結ぶ装置』『政策形成と日本型シンクタンク』『A Japanese Think Tank』『Think Tanks in a Democratic Society: An Alternative Voice』(いずれも共編・著)ほか

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