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電脳都市の歓楽

―あるいは盛り場の未来像について (2)

電脳盛り場のプログラミング

 では、次世代の盛り場は、いかなる空間となるべきか。その展望を語るためには、歓楽の巷がかたちづくられるプロセスを確認しておく必要があるだろう。

 古来、盛り場は、何らかの集客施設の「門前」に設けられる「仮説のにぎわい」であった。社寺・仏閣、教会などの聖所の前、都市と外界を区切る城門の前、そして駅や港といった都市施設の前といった具合だ。盛り場は単立するのではなく、何かの「前」に依って立つ。

 またその形成過程は、計画的というよりも、さまざまな主体によって、雑多な用途混在の成果として現前化する。計画性があるとすれば、それは「計画外」の要素を組み込んだ、あるいは仮説性や暫定利用を読みこんだ「計画外の計画」「計画しない計画」という側面を持つ。

 さらにその盛衰のプロセスには、市街の外部、ないしは秩序の周縁に悪所として囲いこむという「排除の理論」が関与している。市民によって共有される倫理や公共性の原理に基づく空間の差別化が、「闇の都市」を外へとはじきだす。

 電脳都市の盛り場においても、ここに述べた成立のプログラミングがトレースされることだろう。すなわち、次世代都市のシンボルとなる何らかの施設の門前に成立し、「計画外の計画」をもってデザインされる。しかも常に外へと排除しようという抗力、整序しようとする力に抗い続けることが前提となるはずだ。

 より具体的に予測するならば、映画『ブレードランナー』に描かれた盛り場こそ、時を前後するデ・ジャブ(既視体験)である。世界を支配する巨大情報産業。ピラミッド型のその本社ビルの足元にあって、硫酸雨に煙る多国籍の歓楽街。ありとあらゆる映像メディア、電子メディアが街の景観の基調となる。一神教の倫理には納まりきらない多様性と多元性の巷である。

 テーマパーク的手法によって整えられる、アメリカ起源の健全なる都心やショッピングモールの対極に位置する、この種の「アジア的なる混乱」こそ、「ケータイ・メディア」を必需品とする〈移動体群=人間〉の舞台にはふさわしい。

(1997年秋)


はしづめ・しんや●都市計画史・建築史専攻、京都精華大学人文学部助教授
1960年生まれ。工学博士。88年から京都精華大学講師を経て現職。環境造形やディスプレイなどを通して都市をユニークな観察眼から解く。著書に『大阪モダン―通天閣と新世界』『倶楽部と日本人』『明治の迷宮都市』ほか


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