枝川■例えば勤め人にとっては、帰る家があって、勤めている会社があって、遊びにいく街があってと、幾つかの自分があるじゃないですか。祭りとかアイデンティティとのかかわりで言うと、それはどこが一番強いんだろうか、やっぱり住んでるところなんだろうか……。
松平■その発想そのものを、逆転しちゃわないとだめだと思うんですよ。一年じゅうベタっと一緒にくっついている仲間がやるもんだと閉鎖的に考えたら、いま、お祭りなんかないです。企業だって、社員の帰属意識がガンガン落ちているわけですから。そうすると、企業の中でお祭りやろうなんて言ったって、そうはいかない。
まず、ベタっとくっついた社会の集団が存在しているという考え方自体を、いったん捨てちゃったらどうだろうというのが、私の提案です。
枝川■僕、深川八幡祭のちょっと前に、十数年通ってる深川の床屋さんに行ったら、「半纏貸すから、神輿担ぎに来いよ」って。(笑)
僕は氏子じゃないし、見るだけでいいやと思ってたんだけど、「見るのとやるのでは、違うんだ。参加して初めて、それが祭りなんだということを実感するんだ」と言われて、なるほどと。
いまに限らず、祭りを見ている側と、祭りをやっている側と両方があったというのは、江戸の昔からそうなんですよね。
松平■かつては、祭りというのは非常にクローズドな、閉鎖的なものだった。つまり、住むところが生活の根拠地ですから、これの中にある境界線があって、その内側にいる人が祭りの主体なわけで、その人たちが「する人たち」なんですね。「する人」の側には、決して外の人は入れなかったわけです。
ところが、いまは、神田祭でさえ、外からだれが入ってきたっていいと。
神田祭は、八〇年代の半ばころに、いよいよ神輿担ぐ男がいなくなっちゃって、例えば、地上げのひどかった神田須田町のある町内では、一八歳から四〇歳ぐらいの男が四〇人しか残ってない。かなり小さな神輿でも、交代交代でないと続きませんから、一二〇〜一三〇人いないと担げないんです。これはもう神輿が出せない、どうしようと。
で、窮余の策が、「ギャルよ、神田の神輿を担がないか」と、宣伝募集ビラを出した。衣装も貸すよ、食べ物や飲み物もいっぱい出すよと。そしたら一五〇人も女の子が集まりました。いまや、この町の神輿といえば「ギャル神輿」です。
神田祭のような、東京を代表する伝統的なお祭りでも、新しい町に対応するようなものに、変わりつつあるんですね。
祭を、現代的に逆転させる一つのヒントというのは、祭の主体はクローズドなものじゃない、オープンであるということだと思うんです。
枝川■だれでも、参加すれば、祭に入っていけると。
松平■そう。それが過去からの訣別というか、新しい伝統づくりの基本の一つだと思うんですね。そうでないと、実体に合わないんですよ。だって、私、目黒に住んでますけど、近所の旦那もかみさんも知りませんよ。挨拶もしませんよ。
「する人」の集団そのものが、生活集団でなくなってしまっている。だから、それをクローズドなものとして固定しようとすると、大変無理なんじゃないか。ギャル神輿だって、一五〇人の中で神田出身の女の子は七人だけ、五〇人っくらいが地元のOLで、あとは全然関係ないところから来てるんですから。
自分たちが伝統的に支えてきたお祭りを、閉鎖的なものからオープンに開放していくことで、将来に向けて存続させる方法を探っているわけです。