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特集■「都市の祭り」はどこへ行くのか。(1)
■対談■

松平 誠(都市社会学者、女子栄養大学教授)
枝川公一(ノンフィクション作家)



都市化が進み、職住の分離が進み、
小さな商店や職人、都心の住人が消えゆくなかで、
都市の祭りも大きく変わってきた。
いったい都市と祭りの、何が変わったのか。
そして何が変わらないのか。
二十一世紀の都市にはどのような祭りが必要なのか。


都市の祭りは変質してきている

松平■日本の都市と祭りの状況を考えてみると、関東大震災以前までは、祭りはその町に住んでいる人たちの一つの鏡だったと思うんです。江戸時代からその時期までを通して、「住んでいる」ということは、そこに店や仕事場もあり、メシの種を持っているということで、一日中べったり住んでいる空間の中での祭りというのが、非常に重要な意味があった。祭りは、まさに町の人々の「暮らし」を反映する鏡だったんです。

 ところが、それ以降、都市の様子は一変していく。経済成長以降は特に、都市の中で人々の生活の場は拡散し、そんな暮らしの実体はまったくなくなってしまったというのが現状でしょう。

枝川■祭り自体が、まったく変質しなければいけないのに、僕らが祭りに対して抱いている観念というのは、なかなか変わっていかないんですよね。現実は違ってきているのに、祭りは町単位のものでなければいけないという幻想を持っている。その辺のギャップがすごく大きいですね。

松平■昔の祭りをひょいと都市へ持ってきて、皆さん、ここで神輿担いでごらんなさいというのでは、もうだめです。新しい祭りは、古い祭りの考え方をまるっきり反転してしまうぐらいの発想で取り組まないと。まずその辺から考えてみないとだめなんですよ。

枝川■街について、僕が一番せつなく思うのは、ストリートに対する関心がどんどん減少していってることですね。銀座で屋台がなくなったことへの反応も、「さっぱりしていいんじゃないの」という感じの反応しかないでしょ。

 ニューヨークでは、街角でしゃべり、そのしゃべりが彼らの生活を支えている、みたいな面が幾つもある。雨が降れば、突然、傘屋が路上にターッと出てきて、傘を売るとか、そういう路上の活力が非常に残っている。

 お祭りをやったり、市をやったり、商店街がイベントをやったりすれば、人は街に出てくるけれども、日常的な意味での路上というのはどんどん衰弱しつつあるんじゃないか。

 東京は、世界の都市の中でも、路上のカルチャーが衰退していくのが非常に早い。香港とか、マドリードに行っても、それは感じるんだけど、東京の場合、何でこんなに速いんだろうかというくらいに、路上カルチャーは僕らの前から消えていきつつある。そんな感じがするんですけどね。

松平■日本の屋外文化というのは、路上文化しかなかったはずなのにね。日本では、狭い道自体が、日常的なにぎわいの空間であり、また祭りや市といった非日常的な空間の場でもあったわけです。パークとか、プラザなんていう、ヨーロッパ的な広いスペースを使ったにぎわいの空間は、歴史的にみられない。

 ところが戦後、日本の都市計画では、路上の人、路上のコミュニケーションというのは、ほとんど無視されてきちゃった。戦前にあったテキヤのシステムとか、物売りの口上とか、屋台とか、あの人たちの持ってる活力を追放したことによって、日本の「界隈」が本来持っていたはずの緊張感は、もうなくなってる。

 もともと、界隈のにぎわいをつくってきたのは「市」なんですね。市というのは、日常的な空間とまったく違う、まさにお祭りの空間だった。三斎市とか、六斎市とか、一ヵ月のうち、ある日だけ、ある場所が非日常的な空間に化ける。だから、物の売り買いだけが市ではなくて、そこがまさに非日常的な空間だったと思うんです。

 祭りの本質とは、そういう日常と非日常、また光と闇といった、ある種の対立とか反転の中の緊張感だった。いま、新宿や渋谷はいつ行ったって、あのとおりのごった返しで、そういう意味での緊張感というのは非常に希薄になっている感じがします。これは東京だけでなく、世界中の都市に見られる徴候でしょう。


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