特集■歓待する都市
旅人と都市が出会う時。(2)
「もしかすると神様かもしれない…」
旅人には、餅や蕎麦、一夜の宿が、
無償でふるまわれました。
ところで、冒頭に紹介した昔話は、旅人が旅先の人々に対して潜在的に抱いている恐怖心を巧みに利用した話でしたが、同時に、見ず知らずの旅人を迎え入れた宿の主人たちは、気安く宿を提供するばかりでなく、心ばかりのもてなしとして、餅かそばを振る舞ってやろうとまでする善良な人物として描かれていることも見逃せません。この主人が特別な人物だったわけではないのです。昔話にはこの種の話はたくさんあり、近代の都市文明が浸透して、地方の村々にも一軒や二軒の宿屋ができるまでは、日が暮れて途方に暮れている旅人に、たとえ土間の一角であろうと無償で提供することは、ありふれたことでした。
こうした「異人接待」の習慣の背景に、広い意味での「来訪神」信仰が存在していたらしいということは、民俗学者たちが繰り返し指摘してきたことです。旧年から新年へと移行するころに、その移行を象徴的に物語る神霊、たとえば「お正月さま」や「鬼」などが村落共同体や家々を訪問するということが語られ、ところによっては仮面仮装ぼ来訪神儀礼が行われていました。七福神のような共同体や家々の繁栄を約束してくれる神霊を歓待し、鬼のような災厄をもたらす邪悪の心霊を追放しようとしたわけです。そして、共同体を訪問する旅人・異人たちの姿のなかに、村人たちは、こうした来訪神の面影を見ていたのです。
ひょっとしたら目の前にいる旅人・異人は、神が姿をやつして自分たちの行いを調べに現れたのではないか、旅人・異人たちをおろそかに扱ったら、神の制裁を受けるのではないか。大切に扱えば福を授かるのではなかろうか。人々のそうした思いが心の奥底にあったがために、とりあえず排除・虐待ではなく、歓待をすることにしていたらしいのです。考えつくありとあらゆるもてなしをすることで、異人の、言い換えれば神々の歓心を買おうというわけです。しかし、善意からという側面も忘れるべきではないと思います。
村社会のよそ者は、豊作のときは精一杯
もてなされますが、不作のときは徹底的に
排除されます。
「もてなし」「饗応」「接待」といった言葉には、複雑な思いすなわち、「見返り」「返礼」「支配」「服従」「清算」「友好」といった多様な意味あいが暗黙のうちに含まれています。つまり、それは無償の奉仕ではなく、「交換」行為であり、微妙な権力関係を背景にした戦略、ある種の「力」の行使なのだというわけです。
第一に留意したいのは、異人・よそ者たち、つまり「外部」を迎える側の内的事情です。その社会なり共同体なりが、政治的にも経済的にも安定し余裕のある集団ならば、かれらは大いに歓迎されるでしょう。とりわけ、かれらがもっている才能や芸、情報などが自分たちの集団の中にない場合、積極的にそれを搾取し、さらに集団を豊かなものにしょうとするはずです。その結果、集団は膨張し複数の価値が共存する方向に向かい、多文化的な社会が出現することになります。このような特徴をもった社会は都市です。
都市たるゆえんは、多くの地域から、人が、物が、情報が集積するところにあります。したがって、その人間関係の究極形態は誰もが互いに異人同士になるということです。このような異人の集合としての集団を志向する社会では、新たな異人の到着に対して特別の歓待を行わないようです。出入り自由、好意ある無作法が浸透することになるのです。異人はまたたくまにそれ以前からの住人と混じりあってしまうのです。
これに対して、集団のメンバーが固定しているような村落や繁栄から衰退・疲弊に向かっている都市の場合、異人・よそ者に対する態度は厳しいものがあります。自分たちが蓄積してきた富を異人たちに奪いとられると考えられるからです。失業の増大、土地の不足、政治の混乱、治安の乱れは、新参の者に対しては排他的な行動を招き、集団の内部においても再編成が生じ、内部からも「異人」を生み出し排斥に及ぶことになります。
このような状態にある社会では、到着した異人・よそ者に対して境界を設定し、囲いのなかに閉じこめ、そして追放することになります。したがって、そこでの「もてなし」とはゲストとホストの関係を明確にし、かれらのもたらす富を吟味し、自分たちの集団の凝集力をいかに高めるかということに利用されることになるでしょう。この場合、「もてなし」を受けるということは、ホストのコントロールのもとに入るということなのです。
井上ひさしが、彼の戯曲『薮原検校』の執筆に至った経緯を語ったエッセイにおいて、豊作のときは遍歴する芸能者・宗教者を歓迎する村々が、不作のときには乏しい作物の一部を要求するかれらを厳しく排除すると述べています。これは村落に限ったことではなく、都市であれ、国家であれ、同じだといっていいかと思います。
第二に留意すべきは、異人・よそ者が一時的な訪問者か、それとも長期滞在者あるいは定住を望んでいるかによって、迎え入れる集団の態度は大きく異なってくることです。閉鎖的な社会を一時的に訪問する異人・よそ者、その社会を救済したり豊かにしたりする一時的な訪問者は大いに歓迎されます。精一杯のもてなしをするでしょう。
しかし、かれが定住を希望したとき、その集団の態度は微妙にあるいは劇的に変化します。富を外部からもたらす者としての性格が弱まり、集団内外の社会関係・権力関係に影響をもたらすからです。たとえば、外国人労働者の例を考えただけでも、そのあたりのことは想像がつくのではないでしょうか。
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