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■西山徹、幕張沖でフライロッドを振る

西山 徹■釣りジャーナリスト

 久しぶりに幕張の沖に出てみた。思い起こせば、初めてこの海で釣りをしたときには、本千葉の河口あたりから出船して、ちょうど幕張の前から、千葉港、さらには市原のコンビナート前にかけてをルアーとフライで釣ったのだった。
 古い話で恐縮だが、かつて日本テレビにイレブンPMという人気番組があった。その中でも、金曜イレブンにはイレブン・フィッシングという、当時としては超先進的な釣り番組があって、ボクも少し出演したことがある。

 あれは、確か、1973年(昭和48年)の11月のことだった。千葉でフッコ(スズキの若魚)を、ルアーキャスティングで狙うというので、ボクは平砂浦か千倉あたりでやるのだろうと早合点し、外海用のサーフキャスティングロッドを用意してテレビ局に出かけた。ところが到着早々のミーティングで、本千葉から船を出して、千葉港周辺の湾内で釣るということが判明した。
 だとすれば、ごついサーフキャスティングロッドなど無用の長物であって、片手でチョイと投げられるシングルハンドのルアーロッドが必要になる。一瞬ボクは、しまったと後悔するが、湖用のフライタックルを車の中に積んであることを思い出す。

 「フライでやってみてもいいですかねぇ」と服部名人に打診してみると、「フライねぇ。まぁ、やってごらんよ」とお許しがでた。
 そして翌朝、本千葉から出船してすぐのあたりで、ボクは初めて、フッコのフライフィッシングに挑戦し、驚くべきことに、番組の中で入れ食いを体験したのであった。この海のフッコをフライで釣ったのは、いや、スズキという魚をフライで釣ったのは、日本では初めてのことだった、だろうと思う。

 その直後あたりから、本千葉の守山渡船さんとか、今回もまたご厄介になった小峰丸さんなどがフッコのルアー釣り乗合い船を発足させて、海のルアー船の先鞭をつけた。フライフィッシングが一般化したのは、つい最近のことだが、1970年代にルアー釣りの乗合い船が始まったというのは、今思うと、超先進的な出来事なのである。

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 幕張の海は東京湾の最も奥まった部分にある。東京湾の釣りの歴史をたどってみると、“江戸前の釣り”というのを避けては通れない。釣りでいう江戸前とは、現在の羽田沖から船橋、幕張あたりにかけての部分である。日本各地には、漁業としての釣りの歴史は多いものの、遊びの釣りの歴史となると、江戸前の釣りほどのものは、そうザラには見当たらない。

 ともかく、江戸前の釣りの歴史には目を見張るものがあって、江戸時代には美術工芸品としても価値あるほどの竹竿、いわゆる和竿が登場した。そしてその伝統は1950年代あたりまで脈々と引き継がれ、ハゼ、アオギス、カレイ、アナゴなど、四季折々の釣りの楽しみ方を、日本全国に発信してきた。

 中でも印象的なものは、内湾の干潟沖を舞台としてきたアオギスの脚立釣りである。昭和初期の記述によれば、アオギスの主要な釣り場は、東京湾、伊勢湾、大阪湾などであったとある。アオギスは内海の奥の浅海を好むキスの大型種であり、大物は尺6寸(約48センチメートル)以上あったともいう。
 そのアオギスを、リールのない延べ竿で、海に立てた脚立から釣ったというのである。これまた記述によれば、アオギスは警戒心が極めて強い魚だが、ハリ掛りして突進し始めると、キューンとイト鳴りがするほどだった、とある。

 アオギスは清い水の浅海を好むとあって、産業の発展に伴い、我が国の各地から急速に姿を消していった魚でもある。東京湾のアオギスも、かなり踏ん張ったのだろうが、江戸前から千葉県青柳方面へと釣り場は移動してゆき、1950年代にこの釣りは幕を閉じた。

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 そして現代――。久しぶりに本千葉を訪れてみると、頭上を京葉線が走り、出船場所は狭い河口部から港に変わっていた。さらなる変化は、幕張方面に立ち並ぶ高層ビル群である。その中にある巨大建造物の一つ幕張メッセでは、このところ毎年2月になると、国際スポーツフィッシングショーが開催され、10万人以上もの釣りファンを引き寄せる。釣りの様々な情報においても、幕張は、何時の間にか重要な発信源になっていたワケである。

 出港直後、小峰丸の若船長に最近の釣り情報を尋ねてみると、春と秋からのシーズンになると、フッコのルアーフィッシングは相変わらず釣れますよ、という。さらには、この夏はクロダイが好調だともいう。幕張から市原にかけて、港湾施設や護岸が整うと、テトラポットの周辺などにクロダイが住み着くようになったらしいのだ。
 埋め立てと水質悪化で姿を消したアオギスのような魚もあれば、水質の回復傾向が見えると、即座に住み着くクロダイのような魚も現れる。海というものの懐は、実に深い。

 大都市の海と釣りとの関わりを、広く世界的な規模で探ってみると、様々な事例に出会う。例えばニューヨーク。かつてあの開高健さんがテレビCMで語っていたように、ここの海ではマンハッタンの摩天楼を眺めながら、自由の女神の下でストライプドバスやブルーフィッシュが釣れる。昨年仕入れた、最新情報によれば、マンハッタンのすぐそばの桟橋からでも、ストライプドバスがルアーで釣れるのだという。

 カナダのバンクーバーでも、ビル街を目の前にしてサーモンが釣れるし、オーストラリアのブリスベーンでは、目の前のタンガルーマ海峡にマグロの大群が回遊してくる。その群れの規模たるや延々と2キロメートル近くも続いていて、一オンスのメタルジグをキャストしたら、アッという間に20キログラムクラスのロングテイルツナ(コシナガマグロ)がヒットしてきた。次回は、フライロッドで仕留めてやろうと目論んでいる。

 近代文明を象徴するように肥大化した大都市。かつて都市は、人の都合だけで巨大化していった時期があった。その歪みにいち早く気付き、素早く対応した都市の海では、自然も魚も実に豊かなのである。

 果たして幕張の海は、この先どうなるのであろうか。かつてのPCB汚染に見られるような水質の悪化という点では、明らかに回復傾向にある。代わって気になるのは、海水が酸素不足になるという青潮だとか、東京湾横断道路による海流の変化、依然として続く、沿岸部での網漁などであろう。
 ほんの20年前ごろまでは、幕張の海がフッコやスズキのナブラ(魚群)で沸き、それをめがけてカモメが集まるという光景がよくあった。そして当時は駆け出しのフライフィッシャーマンであったこのボクのフライにも、連続ヒットがよくあった。我が国の釣りの世界では「昔は良かった」という言葉が、今でも日常的に飛び交っている。その昔よりも、いい時代を見てみたいと思うのは、果たしてボクだけなのだろうか。


にしやま・とおる●釣りジャーナリスト
1948年高知県生まれ。フライ・フィッシング、ルアー・フィッシングの第一人者。20代の頃より、TV番組「11PM」のフィッシング・キャスターとして活躍。
以降、世界の海、湖、川、渓流で、フィッシング・シーンの先端をいく活動を続けている。TV番組「ザ・フィッシング」のキャスターとしても活躍中。
著書『初めてのルアーフィッシング』『テツ・西山のフライ・フィッシング講座』『フライフィッシング100の戦術』他多数

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