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■対談■
都市の意匠、都市の精神とホスピタリティ(1)


松岡正剛■編集工学研究所所長
井上章一■国際日本文化研究センター助教授



犬の糞を、路上にさせるパリ。
公園の緑にさせる日本。


松岡■都市の中で緑というのは、ホスピタルなものなのかしらね。

井上■僕は自分の楽しみというのではないけど、近所にあんまり大きな公園ではないんですが、まあまあ緑があって、犬が喜ぶんで散歩によく行きます。

松岡■うちもそうだな。

井上■アスファルトの上よりも草木のあるところを喜びますし、犬を飼ってる人の実感だと、公園は犬の散歩場所であり、もっと率直に言うと、糞尿の場所になってないでしょうか。

松岡■だけど、ほとんど、「犬を連れて入ってはいけません」と、入り口だけには書いてあるよね。

井上■書いてあります。ですから、役所で答弁なんかさせられるときがあったら、「いえ、犬の散歩があるのだという報告は受けてません」と、役人は必ず答えると思いますが、実際には犬がうんこする場所になってる公園て多いじゃないですか。(笑)

松岡■多いねえ。

井上■僕、ヨーロッパとの対比で感心するんですけど、ヨーロッパの公園てほとんど犬のフンは落ちてないですが、路上に山ほど落ちてますよね。

松岡■そう。パリなんか特にそう。

井上■アムステルダムでもそうやなぁ。公共心と公衆道徳のあり方がずいぶん違うんじゃないかと思うんですよ。わたしら日本人は、アスファルトの路上で犬にフンはようさせませんし。

松岡■でもその動機は、天下の公道を汚すのは御法度という雰囲気に迎合してるだけのような気もするんだけど。ヨーロッパで公園でさせないというのは、やっぱりそれは自分たちの庭だと思ってるからだよね。
 日本の公共の公園、市とか町がつくり上げた公園は、非常にきれいに整備されすぎていて、いまひとつピタッときたものがない。

井上■もともと日本には公園らしきものって、あまりなかったんですよ。江戸時代の大名庭園とか、武家屋敷庭園とか、大きな料亭が持ってる庭とか、あるいは大旅館かな。
 そういう庭を、特権階級が味わうのではなしに、「一般市民のために」つくることが、民主主義化だったわけでしょう。

松岡■白幡洋三郎が書いてるように、近世近代はお寺の境内を開放させたりしながら、公園をつくっていった。

井上■そうですね。寺がその経過点ですね。
 おもしろいのは、明治の初めごろに公園を計画したときの文書を見てると、「日本人はどうも、花街に行って芸者のしりでもつねるのが娯楽だと思ってるけど、それは間違いだ。公園へ行って空気を味わって、英気を養うのが本当の娯楽だ」という論調がものすごくよく出てきます。

松岡■その頃から、都市計画の中に、非猥雑性の確立というか、猥雑なものを排除する伝統があるのかなという気もする。それがいまも続いている感じがするね。
 ヨーロッパの合理的な市民公園のデザインというものを、明治政府が意識しすぎたんでしょうね。

井上■まるごとヨーロッパのコピーしたものとかありますからね。

松岡■都市社会における「公」と「私」の関係意識というのを考えたとき、特に日本の場合は、「公」という概念がちょっと特殊すぎるという感じがある。
 日本人における「公」というのは、「おおやけ」ということで、自分ではないものが「公」で、自分が「私」(プライベート)なんですね。ところが日本人の場合は、自分の中に公と私があることは少ない。
 ヨーロッパやアメリカの家庭では、一個の人間、一個の市民の中に、プライベートとパブリックというのがきちっとあるように教育するでしょう。「あなたの中のパブリックでしょ、ここは」「あなたの中のプライベートでしょ」というふうに、個人の中の公と私をちゃんと詰めて教えていると思うんです。
 公園とか、公衆便所とか、公共施設とか、公衆電話とか、要するに「公」がつくものというと、いい意味でも悪い意味でも、まったく自分のかかわりのないものというふうに見てしまうきらいが、日本人にはある。

井上■例えば公家とか、公方さまとか、御公儀とか、「偉い」という意味ですよね。

松岡■そうそう、お上(おかみ)に近い。

井上■お上に近いですね。それがいつの間にか、パブリックというのに化けてるわけですから。ほんまはどっかにお上意識が残ってるのかもしれませんね。

松岡■そうですね。それから、個人化された「公」がうまく育った日本の都市とか町というのは少ない。
 京都の町、あるいは長浜の町みたいに、町衆組織というものができて、町人のなかから比較的「公衆」に近い感覚が生まれそうなケースがあっても、結局それは商業者たちの繁栄のためであって、決して公的ではないですよね、あくまでも民間的。

井上■そうですね。御公儀に対抗して自治精神を持ったと、よく教科書的には言われますものね。

松岡■あくまで自治であって、公治の精神じゃない。



都市に自治精神はなかった!?――
というヨーロッパの新しい歴史観。


井上■古い歴史家はよく、堺とか博多とかの中世都市の自治を、ヨーロッパのハンザ同盟をはじめとする都市の勃興になぞらえてますよね。「日本にもブルジョワジーが勃興して、都市の自治ができたんだけど、結局、信長、秀吉、家康の中央権力につぶされた。残念ながら、日本では、封建勢力とブルジョワジーが闘って、ブルジョワジーが負けちゃって、それが近代化のひずみにつながってるんだ」と――。
 歴史ではずうっと常套句みたいに言われてきたんだけど、肝心のヨーロッパのほうで、それが逆転した歴史観になってきてるんです。「自治があった、自由があった」とされていた都市で、いかに市民たちが封建諸公の勢力の前に屈伏し、いかに迎合的な態度をとっていたかという面の資料発掘が、どんどん進んでる。
 いま、ヨーロッパの西洋史学者の間では、「都市の自治なんていうのはほんとにあったのか?」と。

松岡■そうかもしれないね。この前、ちょっと必要があって、十字軍について最近の人が何を書いているか調べてたら、十字軍の自主精神なんて、ほとんど描かれてない。あれは表向きであって、いかに女子供や家族が過酷な労働を強いられて、ときには、駅伝型に先攻部隊がそこに待機させられて、運搬をさせられたり、食事サービスをさせられたり、場合によっては、春をひさがされたり、ということばっかり書いてあって、何にも十字軍らしくないのね。

井上■ほんとですね。

松岡■ヨーロッパの歴史観って、いままで飾り立ててきた自治性とか、自主性とか、真の友情の絆によって結ばれたかもしれない同盟性とかっていうのが、「そうではなかったよ」という感じになってるね。

井上■昔のもっと威張ってた歴史から、自信のない歴史にね。それはひょっとしたら、20世紀後半のヨーロッパ自身の衰弱と停滞みたいなものが、歴史観にもだんだん投影されてきてるんでしょうね。

松岡■本来のホスピタリティという言葉について、ヴォルテールが書いているんだけど、それがおもしろかったんですよ。彼が書いてるのは、ギリシャ以来、ヨーロッパのホスピスとかホスピタリティというのは、兵士が町に入ったときに歓待をすることであって、それ以外にはなかったと。

井上■従軍慰安婦?

松岡■それもある。家族が女を出したり、宿泊所を下級兵士に提供するというのがホスピタリティであったと。アレキサンダー大王の遠征において、なぜアレキサンダーがあれだけ凱旋を続けられたかというと、町々に先に伝令が行って、歓待の準備をやっておけよということを徹底したことが、大成功の原因なんだと。

井上■兵士たちも意気盛んになった。

松岡■「しかし」というので、ヴォルテールは――そこから、ルソーとか、モンテスキューとか、いわゆるフランス啓蒙主義に入るんですが、「しかし、これからはそういうホスピタリティではだめだろう」といったことを書いてるんですよ。
 むしろ都市そのものが、全体として、非常時ではない、「常時的ホスピタリティ」というものをつくっていかざるを得ないのではないかというんですね。

井上■その段階でもう、都市全体のホスピタリティということを考えてたわけですよね。

松岡■そうですね。戦争のためという意識ではない、非戦争的ホスピタリティとは何かということを問うている。具体的にどうだとかは言ってないけど、問題意識はすごくあった人だなと感じましたね。

井上■たぶんそのころから、旅行の普及とか、ヴォルテール自身がどこぞの町を訪ねて、「ああ、気持ちのいい町だ」とか思うことがあったんじゃないかな。

松岡■あの時代はそう。サロンが各地にできて、ディドロとかドルバックら、パリの百科全書派の連中が、ロシアのエカテリーナ二世のサロンへ集ったり、北欧のクリスティーナ女王のところに行ったりしているから。

井上■町を比べ合うような議論とか出てるんじゃないですか。「ブリュッセルは何てもっさい町や」とか。

松岡■出てますよね。古代ローマや古代ギリシャの廃墟が、ヨーロッパの知識人の中にニュースとして入って、それを実際に見に行って、ピラネージ(名所風景画)の銅版画とかエッチングとかが、ものすごい売れたり。
 そういう中から、18世紀の初期に「古代人と近代人の比較」という有名な論争があって、バーミンガムのルナ・ソサエティとか、ああいう近代科学の走りみたいな連中が参加して、古代人のほうが優秀だ、いや、俺たち近代人のほうが優秀だなんてやりあってた。
 その辺から旅行も盛んになっているし、観光も始まったから、都市文化を比較するという視点は出たでしょうね。
 文化の違いを、都市の風土やホスピタリティで比べて語るというのは、たぶん、ヘルダーあたりが最初にぬかしたんじゃないですか。



「ぶぶ漬け伝説」は、
なぜもてなしの美徳にならないか。


井上■日本で、三都論――江戸、大阪、京都を比べるというのは、たぶん18世紀の中ごろから……。

松岡■そうだね。三都評判記が書かれたり。

井上■三都評判のたぐいですね。ホスピタリティが主に語られているかどうかはわからないですけど。

松岡■どうなんだろうね。日本がホスピタリティを語り始めたのは、どういう例があるのかなあ……。
 井原西鶴とか、いま思い出す中では、どこどこの施設とか町家で、もてなしがよかったという評判記はそんなに多くないですね。十返舎一九の『東海道中膝栗毛』なんかでも、あんまりそういうのは出てないと思います。いま正確に記憶してないけれども、何がおもしろいとかはあるけれども、それが「もてなし」であるというふうには出てないと思うね。

井上■三都論のたぐいって、たいてい著者は江戸の人で、京都の悪口を言う。ついでに大阪にも少し悪口を触れるというのが多いので、あんまりホスピタリティを語るという感じになってない。
 何でか知らないですけど、江戸時代の三都論で、上方の悪口というのはもっぱら京都の悪口なんですが、いま語られる関西論て、ほとんど大阪の悪口でしょう。その意味でもほんまに京都は没落したんやなあと。(笑)

松岡■京都没落説は井上説だからね。(笑)

井上■もてなしというと、京都について語るときの「ぶぶ漬け伝説」というのがあるじゃないですか。あれ、もともとの本意は、今言われている常識的解とは違う。せっかく来てくれてる客に、「もう帰れ」とはなかなか言いにくいから、「うちでは用意できるもんはお茶漬ぐらいしかないから」というふうに言うと、聞かれたほうも、「あ、すみません」といって帰る。そういう美しい心遣いのイディオムだと思うんですけど。(笑)
 いまのぶぶ漬け伝説ですと、客が来て、「ぶぶ漬けでもどうどす?」と言われて、ほんとに食べたら、帰った後で馬鹿にされるんだと。それで「京都人は何と心の裏表の違うやつらだ」という話になるわけでしょ。
 京都にまだ威光があって、大勢の人が来た時代だったら、何て腹黒いやつだとは思わずに、「都の人はこういう会話をするんだな」と、素直に学習してはったと思うんですよ。

松岡■三都評判記時代のころにも?

井上■はい。これは京の都のイディオムだ、これが京のホスピタリティの表れなんだと。
 私たちはヨーロッパへ行って似たような目にあっても、「何とひどいやつらだ」と思わずに、「やっぱり外国へ行ったら、こういうことを学ばないかん」と思いますよね。ところが、いまや京都にそういうご威光がないもんですから、(笑)単に悪口のぶぶ漬け伝説になった。

松岡■そうか、解釈まで低俗化した。

井上■はい。あたかも京都の住民全員が、吉良上野介みたいな感じにね。


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