次に企業の社会的責任が問われたのは、第一次石油ショック(七三年)を挟む数年であった。当時の田中政権の打ち出した列島改造計画が重なったために「狂乱物価」がもたらされ、買い占め・売り惜しみ・便乗値上げといった企業を有利にする経済活動が批判にさらされることになった。経団連が市民運動の標的となったりもしたが、こうした現象は市場の失敗などによるものではなく、自由主義経済におきて正当とされる活動が批判の対象となった。そのため、個別の企業や経済団体からは反発が起きた。
現在から振り返ると、これらは企業が独占力を梃子に消費者主権を侵した事例と解釈でき、それに対しては消費者が団体で抗議するのが適当だったと思われるが、ここではそれよりも、こうした現象が大量生産―大量消費というフォーディズム的な生産様式の限界において生じていたことが興味深い。日本におけるこの生産様式は、現在では先進国(覇権国)の基礎技術を後発国がただ乗り的に利用しつつ応用技術を開発する「開発主義」と評されることもあるが、日本におけるそれが特徴的だったのは、「日本型経営」とともに、企業が社員の生活を丸抱えにするいわゆる会社主義を伴った点である。
批判的に言及される会社主義においては、株式は個人所有はできる限り排除されて企業間での持ち合いが進んでおり、終身雇用・年功賃金・企業別組合の制度のもとでは会社は従業員の共同体のごとく観念され、結果的には会社の方針には内部での批判もままならず、会社は社内研修によって社員を内面的にも管理し、企業内での出世競争には家族をも巻き込まれ、あげくに過労死まで引き起こす、といわれる。
本論の文脈でいえば、郊外からの遠距離通勤を余儀なくされ、しかも生活時間までが残業で会社に取られ、参加するコミュニティといっても住居が社宅であるならば市民としてかかわる住宅周辺地域のそれではなく、会社内コミュニティになってしまう。会社人は会社の外においても私人でも市民でもなく、会社人でしかなくなっている。要するに、会社主義とは「生活」という経済活動以外の部分を企業が囲い込んでしまうようなものなのである。
我が国が経済成長を遂げたにもかかわらず豊かさを感じられないというのは、多くは会社人としての活発な活動の陰で「生活」部分が縮小してしまっていることに起因するのではないだろうか。とくに、「生活」は、個人としてのそれも重要でありながら、同時に公共性がながらく国家によってもたらされると考えられてきた。しかし先の阪神・淡路大震災の折りにも体験されたように、瓦礫の中から市民の生命を救ったのは、ほとんどの場合が隣近所での互助運動であった。国家の政策の遅れを強く糾弾する論調がマスコミでは目立ったが、それとは別に互助を可能にするような市民的な公共性というものが存在している。
そこで確認しなければならないのは、企業が復興の音頭をとったり、便乗値上げなど悪徳商法に走らなかったのが、単なる利他主義に由来したのではないということである。というよりも、現地の企業は(コンビニエンスストアなどのように)、地域住民が移転先から被災地域に帰ってこなければ、すなわち生活の基盤としての公共性が回復しなければ、営利活動もままならないのである。とすれば、非政府的な社会的公共性というのは、企業にとって敵対するものでも囲い込んですむものでもなく、むしろ営利活動が前提としなければならないものであった。
したがって会社主義は、自由主義経済のルールにのっとるものではありながら、その原理の前提を掘り崩すものだともいえる。企業が市民社会の公共性の保全に協調すべきだという意味で責任論を問われるのは、こうした経緯からであろう。近年、「見識ある自己利益(enlightened self-interest)」すなわち企業が長期的な利益を求めるためにこそフィランスロピーを行って、活力ある社会作りに貢献すべきだという見解が現れているが、それもこうした文脈で理解すべきことであろう。ただし、それが従業員の生活を会社主義から解放することなく行われるとすれば(企業ボランティアを義務づけられて休日の私的生活が圧迫されるなど)、論理として矛盾するものだといえよう。