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次世代型シンクタンクの条件

■インタビュー■
満鉄から。(4)


研究者の人事交流に璧がある

――近年、日本型のシンクタンクが必要だという話題が、かつてとは違った文脈で語られています。その背景には、ソ連の崩壊以降の世界的激変と安全保障、豊かさの中のビジョンの喪失感と高齢化社会、政治への不信と官僚への不満などが絡み合っていると想像されます。日本に必要なシンクタンクについて佐伯さんはどんなふうにごらんになってますか。

佐伯■NIRA(総合研究開発機構)をつくる前に、アメリカのシンクタンクの調査に僕も一緒に行ったんですけど、アメリカの社会と日本の社会は仕組みが違うので、アメリカと同じようなシンクタンクを日本で考えてみても始まらないと感じましたね。

 まずシンクタンクの需要を考えると、アメリカは官僚機構が弱いからアウトオブハウスのリサーチ・オーガニゼーションに頼るわけですよ。日本はアメリカと比較すると、インハウスのリサーチ・オーガニゼーションが充実しているんです。官僚機構の中においても、企業の中においても、全部自分の中でやれるような調査・研究機構を持つ傾向が強いんです。満鉄なんかそのいい例だと思うんだけど。

 だから、日本のシンクタンクはアメリカと同じことを考える必要はないんじゃないか。つまり、アメリカには需要があっても日本には外部に頼るほどの需要がない。

 供給のほうを考えると、アメリカにはマルチディシプリナリーなリサーチやインターディシプリナリーなリサーチをやれる専門家がたくさんおるんですよ。ところが、日本は、政策研究をやる専門家が、大学からシンクタンクを経て産業、政府の間を自由に移動できるような仕組みが全くないんですよ。一度シンクタンクに入ったら、そこからはなかなか出れない。優秀な人は出ていくけれども優秀でないのはそこにたまっちゃうという形になって、人事の流れがアメリカと日本では全然違うんですね。

 アメリカだったら、優秀なのは大学を出てシンクタンクに入って、ポーンと政府の要職に就いて、また大学に戻るなりシンクタンクに戻るという形で、大学、シンクタンク、政府機関、産業の間の交流が非常にスムーズにやれるんですよ。そういう人事の流れを前提にすれば優秀な人材をシンクタンクに引っ張ってくることはできるけれども、日本にはそういう人材の交流システムがない。

 例えばNIRAを考えればよくわかるんだけど、NIRAがシンクタンクであるためには非常に優秀なリサーチャーのクリティカルマスが必要なんです。ところが、NIRAは、そのクリティカルマスを置けば、下手をすると有能でないリサーチャーのたまり場になってしまい研究が活性化されないというので、クリティカルマスを考えないで出向制度にしてどんどん人を入れ替える制度をとったんです。そうすると、カネをばらまく財団としては成長するかもしれないけれども、シンクタンクにはなれない。

 しかし、現在日本に存在している中途半端なシンクタンクをやめちゃって、新しいものを作るとなるとまたまた中途半端なものを作ることになるに決まっている。本当は、現在あるものを本格的なシンクタンクにする努力が先決ではないか。そう考えていくと、僕は、NIRAをもう少し考え直したらどうかと。あるいは世界平和研究所も。ここは経団連の努力で、五十億ぐらいカネを集めたわけですよ。しかし、やっぱりフルタイムのリサーチャーをたくさん持てる仕組みではないわけです。やはり出向制なんです。だから、NIRAの倍ぐらいの基金を産、官、政府が出してNIRAみたいなものをつくって、フルタイムのリサーチャーで優秀な人をもっと抱えられるようにすれば、それなりに機能してくると思うんです。

――バーチャル・カンパニーならぬバーチャル・シンクタンクというものが考えられないでしょうか。優秀な人材を横に繋ぐ、ハウスを持たないネットワーク型のシンクタンクは。

佐伯■現在あるシンクタンクが全部中途半端だとすれば、立法府なり行政府なりがそこに何らかのつながりを持つことによって、あなたの言うようにネットワークをつくることによって、政策研究の機能を強化する方法を考えてもいいなとは思います。いずれにせよ、基本的条件を変えない限り、新しいものをつくってみても無理だと思うね。既存の機関をもっと改善して機能強化することを考えるのが先決だし、また、既存の機関のネットワークをうまくつくることによって、もっと機能を発揮させることを考えるのが賢明なんです。


立法府がシンクタンクを頼りにするか

――今後、政策を焦点にして、政治が再編過程にはいると思いますが、それは政策が商品になり、市場にさらされる過程だと思いますが。

佐伯■そうかねえ…。いまの与党と野党を考えると、政策の遠いで選択できるほど違わないんじゃないか。政策の違いより政策が実行できるかどうかのほうが問題ではないんですかね。それに、日本の国民は政策を本当に理解して政治家を選択してきたんだろうか、これから選択するんだろうか。たしかに、政治家の政策立案能力の必要性、政策研究の必要性は僕は認めるけれども、今後、選挙において国民が政治家を選択するときに、政策と、その人柄と、身近な利益と、それ以外のファクターを考えた場合に、政策が決定的な要素になると言い切れるのかどうか。

――しかし、政策形成プロセスで情報公開ができているか、それに対して外部からアクセスできるか、参加できるかが、今後大切なんじゃないかと思うのですが。

佐伯■行政府や立法府のリサーチ・オーガニゼーションが外部のシンクタンクを頼りにする条件があればね。それを作る場合に、そのカネをどこから出してくるのか、どこから優秀な人材を集めるのかを考えなきゃならんわけですね。そこには将来政治家になりたい人が集まってくることになるのかなぁ。そうなれば日本の政治家はもっと政策を勉強するようになる(笑)。そうなれば結構ですよね。

 しかし、こんな貧弱な政治的状況をつくっている日本人が、偉そうなことを議論しても始まらない感じがしますね。国際問題をいろんな人と議論していて非常に情けなく思うのは、さて振り返って日本の政治はどうなっているのかと考えると、外に向かって誇るべきものは何にもないという感じがするんだよね。こんな状態をおっぽり出して国際的な問題を考えてみても意味がないという感じがしてしょうがない。

(1994年秋)


佐伯喜一氏プロフィール
佐伯氏の経歴は、日本のシンクタンクの歩みとともにあったともいえる。そのためやや詳述し、インタビューの補記としてご参照いただきたい。

さえき・きいち●1913年10月台湾台北市生まれ。昭和11年東大法学部卒、南満州鉄道株式会社入社、地方部に配属の後、満州重工業、東辺道開発に勤務。昭和14年、物資動員計画勉強のため企画院に派遣、昭和17年より企画院調査官に。昭和19年4月、満州製鉄会社が設立され、新京事務所副所長に。翌年、東辺道支社業務課長となり、終戦を迎える。帰国後、経済安定本部生産局需給課、経済安定本部総裁官房経済計画副室長、経済審議庁計画部、防衛庁技術開発担当参事官、防衛庁防衛研究所所長等を歴任。
昭和40年、株式会社野村総合研究所取締役副社長兼研究所長に。その後、同代表取締役社長、同代表取締役会長、相談役、顧問を経て平成2年12月退任、国際戦略研究所(IISS、在英)副会長に。昭和63年、財団法人世界平和研究所副会長となり、平成5年より財団法人世界平和研究所顧問を務める。


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