幕張新都心形成史

メタモルフォーゼ幕張

1945-70年代1980年代1990年代2000年代



1980(昭和55年) ●幕張地区埋め立て工事完了
●県立幕張東、西、北高校開校
●人口海浜「幕張の浜」「稲毛の浜」オープン

1980年に埋め立て完了 1980年、埋め立て完了。
県立3高校が同敷地に開校し、話題を呼ぶ。

1982(昭和57年) ●東関東自動車道(宮野木〜市川)開通
●幕張メッセ構想を発表
●千葉スタジアム構想を発表
●千葉県総合教育センター進出

〈模索するウォーターフロント〉
知事が幕張メッセ建設構想を発表。引き続いて「幕張メッセ成立可能性調査」も始まる。千葉市は千葉スタジアム構想を発表。横浜市は「みなとみらい21」計画(計画面積186ha)を発表した。

1983(昭和58年) ●千葉新産業三角構想策定(基幹プロジェクトに位置付けられる)
●幕張新都心事業化計画策定

〈千葉新産業三角構想〉
「幕張新都心構想」「かずさアカデミアパーク構想」「成田国際空港都市構想」の3つを基幹プロジェクトとした「千葉新産業三角構想」が決定。東京と成田の中間に位置する幕張は、業務機能の集積を核とした新都心として構想されるようになり、その開発誘導施設として幕張メッセを位置づける「幕張新都心事業化計画」も同年発表される。

千葉新産業三角構想張 三極を中心に面的な発展をめざす
千葉新産業三角構想

1985(昭和60年) ●幕張メッセ施設基本計画策定
●放送大学オープン
●幕張新都心都市施設基本計画策定

〈幕張新都心の骨格が決まる〉
「幕張新都心都市施設基本計画」は、幕張新都心を21世紀にふさわしい都市として整備していくために特に都市施設に着目。交通輸送計画、環境整備計画、都市整備計画について具体案を作成。現在の土地利用の骨格が完成する。

「幕張新都心都市施設基本計画」A地区利用図 新都心の顔として、
街のにぎわいやアメニティを高める
タウンセンター地区を拡充。
(「幕張新都心都市施設基本計画」A地区利用図)

1986(昭和61年 ●海浜幕張駅開設(JR京葉線千葉みなと〜西船橋開業)

1987(昭和62年) ●幕張海浜公園オープン
新都心のオアシス、幕張海浜公園の一部(中央地区)がオープンした。海浜公園は総面積72ha、日比谷公園の約4倍。7つのブロックに分かれ、海、緑、スポーツ、国際交流などのテーマごとに整備され民間活力を利用した「海のシルクロード・ファンクルズガーデン」の導入が決定している。ほかに日本庭園「見浜園」(1.6ha)が90年に完成。95年には第12回全国都市緑化ちばフェアが開催された。

1988(昭和63年) ●幕張新都心まちづくり協議会発足
●幕張新都心環境デザインマニュアル策定

〈業務地区の分譲開始〉
日本IBM、セイコー電子工業など業務地区の立地企業選定と分譲が始まる。同時に、進出企業を中心に、幕張新都心まちづくり協議会が発足。この年、東京都は「臨海副都心基本計画」を発表。

1989(平成元年) ●幕張メッセオープン
●幕張新都心に拡大地区を編入
●東京ガス、地域冷暖房供給開始

〈幕張メッセ完成〉
1989年10月、幕張メッセが完成。幕張は名実ともに国際コンベンション都市として誕生した。同月、第28回「東京モーターショー」がメッセで開催され、史上最高の15カ国が参加。192万人が訪れた。東京ガスの地域冷暖房も供給開始される。

空から見た幕張 空から見た幕張。
メッセ、テクノガーデン、
マリンスタジアムなどが立ち始めている。
幕張メッセ イベント、コンベンションの流れを変えた
幕張メッセ。
東京モーターショー メッセのこけら落しとなった
「第28回東京モーターショー」
世界フィギュアスケート選手権大会 メッセでは、各種スポーツの国際大会も開催される。
写真は「1994年世界フィギュアスケート選手権大会」

〈広がる新都心〉
幕張C地区・京葉港東地区の84.5haを拡大地区として幕張新都心に編入することを決める。京葉線新駅設置とともにA地区、新習志野駅前地区を結ぶスカイウェイネットワークを計画。91年から92年にかけ、松下電器、ソニー、山崎製パンなど13社の拡大地区進出が内定。

スカイウェイ 業務地区のビル群の間を縫って走るスカイウェイ
スカイウェイ基本計画」1992 スカイウェイネットワークは完成すると、
A地区、C地区、新習志野駅前を結ぶ全長18km、
世界最長の快適歩行空間となる。
(「幕張新都心拡大地区 スカイウェイ基本計画」1992から)

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